メモ帳用ブログ

色々な雑記。

高皓光は多のためだからといって少を犠牲にするのはろくでもないと考えた。確かに少を犠牲にして当然だと開き直るのは良くないし、できることならすべてを救えるほうが良いに決まっている。ただし思うようには事が運ばず、多数の犠牲が出た。そして高皓光は自分が弱いことを自覚し、試練に耐えることで他人の符の力を引き出すという自分ならではの選択ができるようになりたいと考えた。
この成り行きを姜明子はただ傍観すると最初から決めていた。宿命に終止符を打つため、宿命に選ばれた高皓光の資質を確かめようと思ったからだ。姜明子の動機は“みんな”のためというよりも、あくまで自分のためという色合いが強い。世界の法則を変えたいとは思っているようだが、人々が幸せに生きられるようにしたいという方向ではない。もし姜明子が人類全体のために不屍王を倒すという点を強調しており、そのために黒山村を見殺しにしたのだったら、多のために少を犠牲にするのを作品として肯定することになってしまっていた。姜明子は良くも悪くもそういう自己正当化をしない個人主義者だ。
日月同错の目的とは不屍王を倒し宿命に終止符を打つことだ。そのために「All for one, One for all」的な手段を取ることがテーマに含まれている。AllとOneの両方が大切であり、どちらかを守り抜くことさえ困難な現実は変えなくてはならない。ただ、臆病者は最初からAllの中に入れずに切り捨てていいように見えかねない部分は不親切かもしれない。