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色々な雑記。

第7話で三眼は白小小にこう言った。
(中文版)

刚才所说的一切你想看到证据吗?
想要消灭咱为爹娘报仇吗?
想要为自己祖先所受的不公,
为自己家这一世受的不公报仇吗?
只要你说一句想,
咱便会去做。
咱的信条是...
有债必偿!

(直訳)
今言ったすべての証拠が見たいか?
両親の敵を討つためオレを消滅させたいか?
自分の祖先が受けた不公正や、
自分の家が今生で受けた不公正の復讐をしたいか?
お前が一言「はい」と言いさえすれば、
オレはやる。
オレのモットーは...
借りは必ず返す!


白小小は「はい」と答えた。それを聞いた三眼は白小小を傀儡にし、借元真目を貸すと同時に自分の記憶を授けた。日本語版だと白大の記憶を授けたことになっている上になぜか白小小の父親の記憶さえ授けたような雰囲気だが、誤訳だ。
白小小が授かったことが明示されている記憶は三眼と白大の会話の部分だけだ。だが白小小は三眼に自害を命令した。中文版では喋らなかった三眼の弱点が自害であるという事実を、記憶の受け渡しで白小小が知ったことは明らかだ。「今言ったすべての証拠が見たいか?」と提案したとおりに三眼は今言ったすべての証拠となる彼の記憶を見せたのだ。記憶を受け取った白小小の行動を見る限りではなにか予想外の事実があった素振りはまったくない。三眼の言ったことはすべて事実で演技や偽りはまったくなかったのだ。白小小は三眼を自害させた後清々していた。
人間には良くも悪くも情があり、救いたいものがあり、良くも悪くも嘘を付く。一方で人間だった頃の自分の名を忘れるほどに屍者に染まっている三眼には情らしい情がない。嘘はつかないが何も救わない。借りは必ず返すというモットーに従って生きることを何よりも、自分の命よりも重んじる。また、屍者が人間を食うことは天経地義と言ってはばからない。
しかし三眼も自分で自分を自害に追い込むことに複雑なものを感じないわけではなかった。白家への借りを返すための自害とはいえ、自分の唯一の道楽だった苗木との寿命比べができなくなってしまうからだ。


(中文版)

唉!
还是输了,
咱一眼就能从中认出你。
一千年前咱刚可行动时,就种下的你。
每几百年醒来一次对着你发呆,
发着发着长这么大了…
啧啧…
可 惜,
咱还是没…活过你呀。

(直訳)
ああ!
やはり負けた。
一目でその中からお前を見分けられる。
一千年前俺が動けるようになった時に、すぐ植えたお前。
数百年ごとに一度目覚めてはお前を見つめて、
そのうちにこんなに大きくなった…
チェッ…
残 念 だ。
やはりお前より…長生きはできないか。


「一千年前咱刚可行动时(一千年前俺が動けるようになった時)」とは一千年前に自害の傷から少し回復して動けるようになった時のことだろう。
動けるようになった時というだけならやや苦しいが屍者として蘇った時と受け取れなくもない。だが三眼は1905年時点で「活了或者说不死不活了一千六百年(生きてというか死なず生きずで千六百年)」だ。千年台と言えなくもないが、四捨五入で千年にならない。動けるようになった時=屍者として蘇った時なら普通はこんな不親切な書き方はしないだろう。すでに「千六百年」という具体的な数字を出しているのだから「一千六百年前俺が動けるようになった時」と書けばいい。
また、「一千年前俺が動けるようになった時に、すぐ植えたお前。」は動けないうちから木を植えようと思っていて、動けるようになった途端に実行したニュアンスだ。それがもし屍者として蘇った時だとすると木を植えることに未練を残しつつ亡くなったことになる。ありえなくはないが、やはり自害の傷から少し回復した時と考える方が自然だ。
三眼はろくに動けぬまま百年、千年単位で深手が癒えるのを待たなくてはいけなかった。そんな三眼にとって、植えた場所から一歩も動かずとも百年、千年単位の年月をかけて着実に成長していく苗木は生きる希望になったのだろう。