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色々な雑記。

天空の城ラピュタの舞台設定が19世紀のイギリスだというのはよく聞く話だ。概ね間違ってはいないけど正しくない部分があるので改めて整理してみる。

まず企画書によると物語の舞台は「機械がまだ機械の楽しさを持つ時代。科学が必ずしも人間を不幸にするとは定まっていないころ、どこかはわからない国、ちょっと西洋風だが、具体的な国、民族ではなく、そこではまだ人間が世界の主人公であり、人々の運命は、自分によってかえることもできるし、切り拓くことのできるものと信じられる舞台」だとされている。ここからは現代がもはやそのような時代ではなくなったことが意識されているのがわかる。
ラピュタ制作中に行われた夢枕獏先生との対談ではより具体的な話をしている。それによると、舞台設定は、19世紀末から20世紀初頭の間に書かれたSF風の世界観で、その時代のイギリス風ではあるが基本的には国籍不明で時代も不明とされているようだ。
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舞台を考えるにあたっては、土地よりも時代のほうが早く決まっている。それは宮崎監督が冒険活劇を繰り広げるにあたって「まだ人間が世界の主人公」だと信じられる時代を描こうと考えたからだろう。
一方、「古きよき時代という作り方はいっさいせず、リアルタイムでやってしまおうと思ってます」とも語っている。企画書によれば、宮崎監督はラピュタを「小学生を対象の中心とした映画」として企画した。「現在もっともクサイとされるもの」であるふれあい、献身、友情、理想を「てらわずにしかも今日の観客に通ずる言葉で語ること」を意図した。
宮崎監督は現在の大量消費文明を腐れ文明と呼んで憚らないが、それでも世界は美しく若者の未来には希望があることを信じて発信しようとするクリエイターだ。現代では失われつつある前時代の美徳も、決して古きよき時代を懐かしむように語るのではなく、現代や未来にも息づかせ得るものとして語ろうとしたのだろう。