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色々な雑記。

中国の農村は清代が終わるまで基本的に国家から受ける統治が弱く、自治機能も弱かった。それよりも宗族という血縁集団(庶民の間で族譜が編纂されるようになるのは宋代以降)や、会や社といったせいぜい集落規模の地縁集団の影響力のほうが強かった。自給自足を背景とした閉鎖性が強い一方で、制度として住民を特定の行政区分に拘束する力は弱かった。江戸時代半ばに人口増加の限界に達し、厳しい統治・自治を必要とした日本の農村とは異なる。

中国で村長が官職名として一般化するのは村治政策が始まる中華民国以降。それ以前の村には村長と呼ばれる人間はいないか、いる場合は村民の投票で選ばれ村民の代表となる富農である場合がほとんどだった。村の統治機能が強化されるのも、村内の締め付けが厳しくなるのも、国家総動員に迫られた抗日戦争以降だ。

近現代中国における社会統合の諸段階 - 中国現代史研究会

中国における伝統的社会集団の歴史的変遷とその現状: 華北山西省農村を事例として

慶應義塾大学出版会 | 清代中国の地域支配 | 山本英史

 

屍者の13月の黒山村のような村は清代には存在しないが、国家による統治が強化され、国家による教育が強化された抗日戦争以降に生まれる。三眼に従ってしまった村人に対する漢奸的な扱いも現代的な国家観・国民観に基づいている。現代的な問題を近代以前に舞台を移して表現する手法自体は一般的なものだ。日本でも、終戦後の混乱期を舞台にして現代医療の問題を扱うことで、倫理面の葛藤について掘り下げたような作品は存在する。時代をずらしてテーマを際立たせる場合、描写の説得力がエンタメとしての要になる。エンタメとしての出来が悪くてもテーマの見せ方次第では作品として成立する。