メモ帳用ブログ

色々な雑記。

二郎はとても戦前の男には珍しい愛妻家で、病身の妻を気遣ってはいる。でも大河でさえ渋沢栄一の女性関係を省略してしまうような現代だと、それでも物足りなく見えるのは否定しにくい。

仕事中に夜通し妻の手を握ってくれる戦前の男なんてそういないんだろうけど。
宮崎監督の『風立ちぬ』は堀辰雄の『風立ちぬ』からタイトルを取っている。しかしヒロインの名前は当時としても古い女だったろう『風立ちぬ』の節子ではなく、当時としては新しい女の『菜穂子』の菜穂子から取っている。ただしそれでも映画『風立ちぬ』の菜穂子は現代から見て古い女に見える。また観客からすると古い女に見えるだろうことは了解の上でああ描かれていると感じる。
菜穂子の古い女ぶりと釣り合いを取るように二郎の妹の加代はとことん新しい女だ。あの性格のまま現代で生きていても違和感はないだろう。
個人的には菜穂子より加代のほうが親近感と好感を抱きやすい。ただし古い時代の古いお嬢様というのもそれはそれで魅力がある。
菜穂子は自らの死を目前に二郎とレトロな恋愛をした。加代が二郎と菜穂子の結婚生活に憤るのは現代的な正論で、二郎もそれに反論しきれない点は自覚しているようだ。二郎は自分では仕事と妻の二者択一をすることができなかった。夜通し菜穂子の手は握れるけども仕事をする手も止められない。仕事をはかどらせるためのタバコもどうしても吸いたくなる。
一方の菜穂子は死が迫る中で二郎にもっと近くに来て欲しくなっていた。自分を愛してくれていることはわかりながらも、仕事を捨てて私だけを見てと言いたくなることもあっただろう。しかしその選択を迫ってしまいそうになる自分を潔しとせず、自ら二郎の元から去った。
現代的感覚からすれば水臭いとか夫婦でちゃんと相談しようとか言ってしまいたくなる。
ただ、二郎と菜穂子の恋愛はあの時代のあの二人にしかなし得なかったものだ。新しい葛藤を知った部分もあるとはいえ、菜穂子は無垢のまま終わったのでは味わえなかった激情に身を委ねたことに後悔しないだろう。