メモ帳用ブログ

色々な雑記。

キリスト教的に自由意志はとても重要だそうだ。動物と神の似姿である人間という対比からしても自由意志の有無はプライオリティの高い論点になるようだ。人間が救われるためには自由意志で神に対する信仰心を持つことが必須とかどうとか。伝統的な神学解釈からすると、動物には魂はあっても自由意志はないか、魂がないかということになるらしい。ノラネコを見て自由だなと感じる現代日本人とは自由の概念自体が違う。
AIに関しても意志の有無、いわゆる哲学的ゾンビに近い領域の問題が度々話題になるのはこうした思想的背景が影響しているんだろう。
現代では自由意志は錯覚に過ぎないという説も出ている。もちろんその反論も出ている。


そもそも自由意志の定義ってのがキリスト教徒でない自分は理解しきれない部分がある。

宇野:そうですね。一口に「自由」と言っても、ヨーロッパの政治思想史の文脈から検討すると、実に様々なニュアンスがあります。

猪木:堀米庸三の論考「自由と保護――ラントフリーデ研究の一序論――」では、自由は単なる「無拘束や放縦」ではなく、「自由とはただ護られてのみ存在する価値であり、自由とそれを護る力は不可分の関係にある」とあります。つまり、自由と保護という一見対立しあっている概念が、実は融合していると言う。これも「フランチャイズ」的な自由の考え方ですね。

宇野:はい。ある種の条件付けや半強制的な制約の中で、人間ははじめて自由を享受できるようになった。猪木先生の本を読んでいると、ヨーロッパの人々がどのように自由という概念を構築してきたのか、追体験できてとても面白かったです。