メモ帳用ブログ

色々な雑記。

後で加筆予定。
罪悪感が生じないことと、生じた罪悪感を乗り越えられることには天と地ほどの差がある。
ゴールデンカムイの罪悪感を巡る議論は複雑だ。まず最も描写の多い主人公・杉元佐一の持つ罪悪感やそれに纏わる感情を把握する。そこで得た知見を通じて他のキャラクターの罪悪感についても把握する。
杉元佐一は罪悪感を抱えた男だ。杉元は容赦なく殺人を行うが、それは罪悪感が生じないことを意味しない。
杉元の罪悪感のあり方について、最も良く窺い知れる会話が辺見和雄との間で行われている。長い会話なので要約すると、自分なりの道理があって人を殺してきた、せめて殺した相手を忘れないのが罪悪感であり償いだ、自分が安らかに死なせてもらうつもりはない、というものだ。こうした罪悪感との向き合い方は最終回の杉元でも最終回後の杉元でも変わらないだろう。
ただ、最終回の杉元が変わったのは殺人によって変わってしまった自分を受け入れられるようになった点だ。それまでの杉元は殺人者になった自分に対する自己嫌悪と後悔に度々苦しんできた。それが、殺人を犯して元に戻れなくなった自分のことも、役割を果たすために頑張った自分として好きになれた。これはこれで1つの成長だろう。
鯉登音之進は様々な意味で精神面の変化が大きいキャラクターだ。
まず初登場からしばらくの間の鯉登は殺人にさえまともな罪悪感が生じていたようには思えない。敬愛する上官である鶴見中尉に部下として尽くす、鶴見中尉の命令に部下として従う、ということで思考停止してしまっていたのだろう。鶴見中尉の掲げる正義は絶対に正しく、鶴見中尉の命令なら何でも正しいと思い込んでいた。
それが後半から鶴見の命令に無条件で従うことの是非について思い悩まなくてはいけなくなる。鶴見の命令で敵だけではなく同胞である部下たちまでもが苦しんでいると気付いたからだ。この時点で鶴見の部下としての自分の行動にようやくまともに向き合うようになり、ようやくまともな罪悪感が生まれたように思える。そして殺す程ではないと自分で判断した谷垣やインカラマッは逃して命を助けようとする。鶴見の下で汚れ仕事を重ねて傷ついてきた月島に対しては、無条件で鶴見に尽くすことは考え直すように諭す。でなければ後悔と罪悪感にさいなまれるだろうと。
この時点で鯉登が自分と向き合って得た道理とは「同胞のために身命を賭して戦う」ことが軍人の本懐というものだ。それは高級将校である父親の背中を追ううちに育まれた価値観だろう。父親の鯉登平二は息子が指揮官として大勢の人間の命を背負うにふさわしい人間として成長することを望んでいた。
鯉登は同胞のみんなが救われる道を進もうと考えた。そのためには罪悪感を正しく乗り越えて後悔に苦しまずに済むように、自分たちを先導している鶴見の目的や正義を見極める必要があると考えた。鯉登は盲目的な愛を失った後も鶴見を尊敬し続けていたし、鶴見の掲げる正義も信じたいと思っていた。だから鶴見の下から逃げなかった。敵も殺し続けた。だが終盤は鶴見の甘い嘘により精神を壊され続けてきた月島の有り様を目の当たりにし、鶴見の計画もまるで実を結ばない公算が高くなる。ここに至って鯉登はついに鶴見と向き合い、計画がうまくいかないのなら自分は部下たちを守るためにあなたを殺さなくてはならないと苦悩しながら告げた。鶴見の部下としての自分よりも大勢の部下の命を預かる指揮官としての自分を優先したのだ。自分の判断に自分で責任を取り、自分の罪悪感を自分で引き受ける指揮官だ。
最終回でも鯉登は軍に残り、自分の部下たちを守るための戦いを続ける覚悟を固めた。そしてその右腕に月島を指名した。鯉登から助力を求められた月島は晴れやかに微笑んだ。