メモ帳用ブログ

色々な雑記。

杉元は寅次という親友がいただけあって白石ともナチュラルに友情を育んでいる。ちょっとガキ大将と女房役っぽいところも含めて杉元と寅次もこんな風だったんだろうなと思える。杉元と白石は別れ際もさっぱりしていていかにも健康的な男同士の友情だ。
これに比べるとと言うと語弊が出るけど、月島は子供の頃ほぼ間違いなく友達がいない。いご草ちゃんは恋人だから除く。いご草ちゃんを入れたとしても同性の友達はいない。なんとなくつるむようになった、みたいなタイプの人間関係は経験がなさそう。そんな月島からすると、軍隊の同胞とか戦友とかの外側から枠をはめてくれるタイプの仲間意識は魅力的だと思う。
尾形に前山を殺された時を見ても、いご草ちゃんが死んでいると勘違いさせられて鶴見に詰め寄り説得された時を見ても、月島は戦友という言葉に重みを感じているようだ。ただし鶴見が月島に語る戦友とは愛を利用するための言葉という面が強いのだが。
谷垣とインカラマッを殺害しようとした月島を止めて、改めて会話した時、鯉登は同胞のために身命を賭して戦うのが軍人の本懐だと語った。この前後の流れは月島がいご草ちゃんやかつての鶴見を回想した流れと対比的な内容になっている。鯉登の上官や部下、同胞に対する思いには偽りがない。
鯉登は自身が戦争に行ったことがないため同胞という言葉を使う。鯉登は鶴見との間に、ともに戦争へ行けなかったことに起因する距離を認識していた。歯がゆさを感じながら、早く追いつきたいと思っていた。戦場を知らない自分はまだ父にも兄にも追いつけていない。月島は鯉登との間に戦友ではない壁を認識していた。戦争に行きたいという鯉登をなおさらに愚かだと思っていた。実は樺太編の時点で壁を感じなくなっていたのだが、本人はそれを自覚しきれていない。
月島に友達がいなかったのと同様に、8歳から先の鯉登にも友達はいなかっただろう。鯉登は10歳から15歳まで東京の海城学校に通っていたにも関わらず、14歳や16歳の時には標準語が話せなかった。周りの人間とコミュニケーションをはかる気がなかったのだろう。ファンブックの質問箱を読むに、鯉登が標準語を学んだのは第七師団行きを決めて以降のようだ。鯉登は14歳の時にまた会えたら友人になろうと言ってくれた鶴見の言葉を実現しようとした。陸軍に進路変更し、鶴見と意思疎通するために標準語を身につけた。だが鶴見に夢中になるあまり緊張して早口の薩摩弁が出るようになってしまったため、せっかく身につけた標準語で友人として会話することはなかなかできなかった。標準語での会話が可能になったのは鶴見の陰謀を暴露されて盲信が解けた後だというのは皮肉な話だ。
鯉登が身につけた標準語は主に月島との会話で用いられることになった。同僚と意思疎通するにしても標準語のほうがいいし、これは学んだ当初から予定していた通りの使い方ではあるだろう。ただ、相手の理解できる言葉を話そうと自然に心がけられるようになるという経験は、あるいは鯉登からするとほとんど初めてのことだったかもしれない。仕事での会話だけでなく私語も頻繁に交わし、標準語を使った。これはもう友人ということではないか。たとえ当人同士がそれを意識していなかったとしてもだ。
正の感情に素直な鯉登はともかく、月島は最後の最後まで自分が鯉登に友愛を感じていることを自覚できていなかっただろう。月島は自覚しにくくても確かに存在する友愛よりも、助けられた義理や国家の繁栄というわかりやすい枠組みに自分の生命を当てはめようとしてしまった。
「月島基は鯉登音之進中将の右腕を全うした」という。迫りつつある下士官としての停年を迎え、軍人として退職しようと、月島基は鯉登音之進中将の右腕を全うしたのだ。これは出会ってしばらくの両人には想像もできなかった未来だろう。特に月島からしたら、軍人を終えた後の自分にもまだまだ本番の人生があるなんて発想すらできなかったはずだ。鯉登が老人になり、自らもそれ以上の老人となろうと、月島は鯉登の右腕だった。