メモ帳用ブログ

色々な雑記。

自分は尾形が母親を殺した際に第三者の介入はなかったと考えている。尾形は母への愛ゆえに、父の愛欲しさゆえに、欠けた人間にふさわしい道への第一歩を自ら踏み出した。母親の葬式に父親が訪れれば、母親は最後に愛した男と会え、自分も両親の間の愛を確かめられるという望みを持った。だがそれが叶わず、悩みを抱える尾形に助言を与えて尾形独特の愛と祝福の理論を完成させてしまったのは鶴見かもしれないとも考えている。愛と祝福という言葉、父親を殺害する際に尾形が言った「愛という言葉は神と同じくらい存在があやふやなものですが」というセリフ、いずれもキリスト教的であり、鶴見的だ。また、親殺しは巣立ちだということを江渡貝くん同様、尾形にも吹き込んでいたことはほぼ間違いない。鶴見は一神教の神のように自分以外の神を排除する。子どもにとって親は神だ。