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伝奇小説から架空戦記へ
1980年代に一大ブームとなった伝奇小説は「戦後社会が作り上げた『日常』を嫌い、その周縁/外部を目指す伝奇的志向を備えていた」。その理由のひとつをこの評論では「政治・文化を成り立たしめてきたオーソドキシィが壊れ、力を失っていくにつれて、それに対するカウンターとしてあった伝奇的想像力もまた失速していったというわけだ」と分析している。
伝奇の魅力とは維持に対する破壊の魅力だが、実は本来そのあとに訪れるべき創造の力は持っていない。あくまで正統に対する異端の魅力であり、それ自体が別個の正統として取って代われるような力強さ、一貫性はない。嫌っているはずの「日常」ではない、という形で自らを定義しているがゆえに、「日常」に依存しきっている。だからそれまでの日常が崩れた90年代に求心力を失った。
日常という本体に対する影が伝奇だ。本体が消えれば影も消える。
90年代やゼロ年代に書かれた伝奇ものでは、それまで暗黙の了解として触れるだけで済んでいた「日常」を再定義し、描き込むことで、影である伝奇を成立させる作品が登場する。むしろ日常を見失ったがゆえに、伝奇という影を描くことで日常という本体の輪郭を確かめようとする作品も生まれた。日常が壊すべき壁ではなく莫大なコストを払って維持している贅沢品に過ぎないと露呈したからこそ、何もしなければ維持ではなく破壊が訪れることが明らかな時代だからこそ、闇に特別な魅力を感じるためには確固たる光がこの世に存在するというフィクションを送り手と受け手の間で共有する必要があるのだ。