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鈴芽は物語の最後で


草太に「おかえり」と言った。ちなみに草太の「ただいま」も収録したが、あえて映画のセリフにはしなかったのだそうだ。粋な描き方だ。
このセリフが「おかえり」なのは、駅で「戸締まりしながら、東京に戻るよ」と言った草太が仕事を終え、鈴芽に会いに来た際のセリフだからだ。「おかえり」は用事があって出かけた人間が戻ってきた際にかける言葉だ。鈴芽はかつて仕事に出かけた母親に、「おかえり」を言うことができなかった。人間が存在する限り後ろ戸が無くなる日は訪れないが、草太は仕事にひとつの区切りを着けた。
そして何よりも、鈴芽が草太の帰る場所になったからだ。「おかえり」は帰るべき場所に帰った人間へそこにいるべくしている人間がかける言葉だ。
鈴芽の「おかえり」は九州の家が紛れもない自分の故郷になったからこそのセリフだ。それと同時に、常世に奪われた草太を現世に取り戻せたことをようやく噛みしめる言葉でもある。鈴芽はかつて宗像老人に「元いた世界に帰れ」「(死者の場所である常世が)怖くはないのか?」と言われ、「草太さんのいない世界が、私は怖いです」と答えた。草太がいなければ、現世は自分のいるべき世界ではない。草太が現世にいるから自分も現世にいられる。鈴芽が草太に「おかえり」と言えたのは、草太が現世を鈴芽のいるべき世界にしてくれているからだ。
同時に、鈴芽のいる世界が草太にとって帰るべき世界になった。草太は鈴芽に出会えたことで自分の生の意味に納得し、終わりを受け入れようとし、だが終わりを受け入れられなくなった。草太にとって東京は帰るべき場所のひとつだが、それ以上に鈴芽が現世の住人だから草太は現世を自分の帰るべき世界にできた。鈴芽のいる場所が草太の帰るべき場所になった。草太の帰るべき場所は現世という世界に、現在は東京という土地に、そして鈴芽という人間に結び付けられている。
草太に「おかえり」と言った時、鈴芽も自分が草太の帰るべき場所であることをふと悟ったのだ。


ところで西には西の閉じ師がいて、宗像家は東の代表的な閉じ師だそうだから、草太が九州に移住する可能性はほぼないと思う。鈴芽が大学進学時か卒業後に東京へ引っ越す可能性が高いのかな。