メモ帳用ブログ

色々な雑記。

書きたいことを書くための前置き②
過疎化と少子高齢化、特に地方の衰退は、地方に関心のある人間なら無視できないテーマだ。
劇場版のゆるキャンもこの点をテーマにしていた。原作者や監督をはじめキャンパーがスタッフに多く、当然、地方の衰退を実感する機会の多い制作陣だっただけに、本編から距離のある劇場版ではあえてこうしたテーマを扱いたくなったのだろう。作中で主な舞台となっている富士山周辺でも廃墟は増え、シャッターの降りた店舗が目立っている。


劇場版のゆるキャンは衰退に対してその後の再生という切り口で向かい合おうとしていた。まず放置された野外学習施設を大人になった主人公たちがキャンプ場として再生させようというところから話が始まり、野ざらしになった巨大な半球状の檻(鳥籠)は疑似プラネタリウムとして利用し、メンバーの1人が教師をしていたが廃校になった小学校からはタイヤなどを移植した。キャンプ場は「再生」というテーマで企画書を出して計画の許可を取り付けた。だが作業中に縄文時代の遺跡が見つかってしまい、中断を余儀なくされる。その土地を歴史教育施設にする案すら持ち上がってしまうが、主人公たちは遺跡すらも再生というテーマに組み込み、より一層の掘り下げを行うことで、キャンプ場計画を復活させた。
劇場版のゆるキャンでいう再生とは、以前あった生が一度失われた後に当時の姿そのままで再び戻ってくるということではなく、当時の生はもう二度と戻らないとしても別の形での生を与えることはできる、というニュアンスで使われている。縄文時代に一度滅んだ生活の場も、数千年後に掘り出され、後の人々に学びを与えている。そういった視点で、できることはしつつも、滅ぶものは滅ぶものとして受け入れることに希望を見出そうとしている。