メモ帳用ブログ

色々な雑記。

幾原監督が自分も女性にはお姫様や母親を求めてしまうと言っていたことの母親の部分について。
まず幾原監督作で母親と言えば劇場版セーラームーンRの「大丈夫よ。セーラームーンはみんなのママだもん。きっとみんなを守ってくれる……」というセリフ。基本的にはジェンダー論云々な層からの受けがいい幾原監督だけど、このセリフは母性の理想化という文脈で当時非難されてたことがあるのを時々思い出す。ただ自分はまさにそのセーラームーンの主人公性を表したセリフとしてすごく好き。そもそもアニメ・漫画は理想化・浪漫・幻想と切り離せないものなのでこの手の議論では分が悪い。勿論非難されにくい範囲というものはあって、時代の変化に合わせて変化して行くんだろうけど。今みたいに誰でも情報発信できる時代だと、過剰だという否・適切だという賛・不足だという否がどの作品にもあることは可視化されやすい。その分どの層からも不満の出ない作品は無いということがいつか周知されればある程度のところで折り合いもつけやすくななるんじゃないかという希望的観測。
話を戻して幾原監督作品の母親と言えばもう1人は少女革命ウテナのアンシー。勿論こちらも言葉通りの意味でなく、不完全な王子様・父性である暁生の対になる、報われない母性としてアンシーはイメージされたらしいということ。暁生とアンシーは表面上は兄妹なんだけど(資料によって実妹だったり義妹だったりするんだがそもそも作りながら設定をいじっていったので決定版の設定が存在しないっぽい)、実態としては男女の関係。アンシーは鳳学園という社会システムのトップである暁生を支える苦労を進んで引き受けたはずなんだけど、システムの歪みを背負わされるうちに気持ちに歪みが生まれてしまっている。それが真っ直ぐに王子様を目指すウテナと出会って…という話。