メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ヒーロー以前と以後

あだち先生の作品について語る時、自分はどうしてもスポーツ漫画、特にタッチ以降のスポーツ漫画に重点を置いてしまいがちになる。初オリジナル連載初ヒットでミリオンのナインやダブルミリオンのみゆきは勿論、少女漫画でもヒット作は多いし、そっちも読んではいるんだけども。タッチ以前の作品は、いわゆる「あだち節」はまだ発展途上なんだけど、感性の若さが若者の現在性を飾らずに描く語り口と一致していてハリがある。ベテランになってからの青春を普遍性やノスタルジー的な面で魅せる作風とは違う良さ。でもそれだけに描かれてから時代を経るにつれて純粋な共感よりも文化的な関心に近い領域から読まざるを得なくなるので、読者の身近な娯楽として語られる存在とはズレてしまう。

タッチは現在でも間違いなくあだち漫画の代表として楽しまれている作品。あだち先生曰く、あまりにひどい売れ方をしてしまった作品でもあるといい、先生自身もタッチ以後は寄せるにしろ離すにしろ作風の基準としてタッチを意識せざるを得ない節があるらしい。自分も含めて多くの読者もタッチから入っただけにあだち充作品の基準がそこになる。

タッチがそれ以前のあだち作品と異なるのは等身大の主人公からヒーローへ至る姿を描いたところ。ナイン・陽あたり良好!・みゆきでも主人公やヒロインが活躍する場面はあるけど、野球部のエースではないこともあって最後まで等身大の範囲で収まっていた。あくまで学校生活と恋愛と青春の群像劇。若者が若者に向けて書いた等身大の若者の姿に注目が集まり始める時代性も背景にあった。それがタッチではエースである双子の弟の死というヒロイックな運命を主人公が背負わされ、最終的には甲子園優勝投手となる。和也が無事ならばそもそも受け継ぐ必要のなかったエースの座と夢、それを実現するヒーローを望む周囲の期待と圧力への葛藤が描かれる。ただ、受け継いだ和也の夢を叶えて以降の、あだち先生曰く野球漫画としてしか存在しなくなってしまう甲子園での活躍は省略し、ドクターストップでプロ入りを断念することで達也はヒーローの座を降りて、物語は終わる。

少女漫画のスローステップ、タッチの陰に隠れてしまったというラフ、読者ウケを気にせず子供の頃に描きたかったものを描いたという虹色とうがらしを経て、再びのヒットを狙う野球漫画として企画されたH2は、主人公が故障(という誤診)を言い渡されても野球を諦めきれないところから物語が始まる。野球大好き少年である比呂と仲間たちとの関係や試合がたっぷり描かれ、タッチを意識しつつも違う方向が目指される。タイトルのH2にも主人公2人の名前にもヒーローというものが潜んでいて、主人公たちが将来プロを目指すことが終盤の展開ではっきりと示される。作者としてはタッチの大ヒットで期待されるようになりつつも一旦は躱したヒーロー像、周囲から押し付けられる偶像を、ここで改めて引き受ける決心をしたということになるのかもしれない。

これ以後の連載では、主人公が神から超能力を一時的に授かり将来は日本人初のアカデミー主演女優賞受賞者となるらしいいつも美空、夢のバトンを背負うヒーローにならざるを得なくなるKATSU!、置いていかれる幼なじみの中西の言葉でプロとなるだろう将来が仄めかされるクロスゲーム、何だかんだ陸上の才能を見出されIHを目指しだすところで終わるQあんどAと、本当の意味で何も周囲から背負わされない主人公は長編連載では描かれていない。(ただし作者が少年漫画の読者である若者とは年齢が離れてしまったことにより、年齢や時代に依存する感性の違いを越えるために、より普遍的なヒーロー性を土台とする必要性が増しただろう面もあって、一概にテーマの変化・深化としてだけ捉えられるものではないとは思う)

そして現在連載中のMIXは、卒業という形で舞台から上杉達也が去ったことでより幻想性・偶像性の増したヒーロー、「明青のエース」を巡る物語だ。無責任な善意に満ちた第三者の期待、数々の「明青のエース」になれなかった者たちの無念、背番号1を、主人公投馬は背負うことになる。


一方で、ヒーローの物語を成立させるために必要になるのが悪役・敵役・ライバルで、こちらの魅力が目立つようになるのもやはりタッチ以降。敵の魅力と一口に言っても、憧れるダークヒーロー、突き抜けた邪悪、理解不能な神秘性といろいろな種類があるけども、あだち漫画の場合は主人公がヒーローであっても生身の人間であることが強調されているように、悪役や敵役も生身の人間として描かれる。作者自身も他のキャラと同じく自分の気持ちの一部を分け与えるような熱意を込めた生命感が伝わってくる。主人公との対立軸をはっきりさせることよりも個々人の掘り下げに重点が置かれるから、しばしば話が脇道に入ったり複雑化したりするけども、連載を追うにあたっては思わぬ脱線やギリギリで本筋に戻るスリルも楽しいものだし、最終的に回収がうまく行けば深みになる。また、主人公に追い抜かれることを役割付けられた彼らは、主人公を見守るサブキャラクターたちと同様のヒーローを見送る存在として、しばしばより読者に近い目線を持つことになる。主人公側の勝利の喜びだけでなく、クライマックスではライバル側にとっても気持ちよく負かしてもらった完全燃焼感に清々しくなれるのが、あだち漫画の醍醐味だ。悪役だった柏葉英二郎や広田勝利、初期の東雄平(3人とも弟)らの主人公に対する感情の浄化も、いずれも重要な見せ場になっている。屈折を表に出すこちら側のキャラクターのほうが共感しやすいという人も珍しくないかもしれない。

そういう意味で言えばMIXの立花投馬は清々しく負けさせてくれるヒーローらしさがまだ発展途上。二階堂にしろ健丈高校にしろ投馬に負けたと言うより自分で自分に負けた相手だ。MIXは全体的に自分は好きだけど地味だなと感じる要素ばかりで構成されていて、それが端的に出てるのがファーストエピソードの二階堂の話。本当に投馬が何もしてないうちに結末を迎えてしまう。二階堂はともかく投馬まで煮え切らないところがあるというキャラ性が確立したのはあの話が響いていそう。もっともあれで割り切れないもの、クリアになりきらないものを背負い続けるのがMIXのテイストだと感じられたし、11巻でもその点についてはちゃんと言及しているけど、これから始まるだろう後半戦以降を考えるとそろそろ変化がほしいところ。なのでひとまずは最新話の走一郎の行動にどう反応できるか、もしくはできないかがターニングポイントになるのかな。家族のかたちが変わらざるを得ないことと周囲から「明青のエース」という偶像を期待されていることが、今後の投馬の課題になりそう。競うべき相手の走一郎・西村息子・赤井兄弟たちのキャラはちゃんと立ってるから、人間関係の進展から投馬が逃げずに向き合う気に変わってくれさえすれば、負ける側から見てもスッキリと終われるようになるはず。むしろ今のところこっち側のキャラびいきの自分からしても、ストーリーに納得するためには投馬には精神的にしっかりしてもらわないと困る。ただ、負けを認めてスッキリすることが許されず期待と怨念を背負わされ続ける主人公・ヒーローのプレッシャーというのは相当なもので、そこから降りることを望んだのに許されなかったKATSU!の活樹は不憫だった。だから展開の進展に合わせて明確になるだろう投馬の望みと気持ちが報われる話にMIXがなってくれることが結局は一番期待してる部分。


自分にとってサブの悪役で印象深いのは、タッチで達也に憧れてた吉田。劣化コピー投手の吉田だ。勝手にまとわりついて勝手にいい気になって、増長して意気がり出すあの感じが、少し前にネットで流行った共感性羞恥という言葉そのものとして自分の胸を締め付けてくる。何か勘違いしたまま達也に挑んで精神的にズタボロになっていく様子が悪い意味で他人事とは思えない。いや自分は吉田ほど努力家でも実力者でもないけども。というわけで最後に由加がかけてくれた「ファイト」の一言はとても好き。達也がすっかり立派になったタッチの後半では、身近に感じられるのは吉田以外ではプラス側のキャラだと佐々木とかかな。それにしたって自分とは比べ物にならないくらい立派な相手だけども。つまり前に語りたがりのオタクはわかりやすい親近感・ポンコツ感のある新田由加のほうが好きだと書いた事があるのはそういうことです。気軽に萌えられるのは由加の方。どうしたって浅倉南は最初は隣りにいたはずがいつの間にかはるか高みに祭り上げられているような存在で、へそ曲がりとはいえその好意に甘えずに追いつく気になれる時点ですでに上杉達也は格好良い存在。自分と両思いなのに他人にも平気で優しくしちゃう南を見て独占欲を我慢できるのも、 南の優等生ゆえの子供っぽい無神経さを愛嬌として隣で受け止められるのも、若者らしく背伸びをしようとする上杉達也の格好良さ。やっぱり上杉達也は憧れの存在で、ヒーローだった。そんな他人から幻想なんてきっと上杉達也にとってなんの価値もなくて、だからあっさり置き去りにしていったんだろうけど。