メモ帳用ブログ

色々な雑記。

FateのHFの映画を見た。

個人的に印象に残ったのは慎二が魔導書を読んで小瓶に入った液体の何かを作ったのに自分には反応しなくてキレたシーンと、士郎と凛と桜とライダーが慎二のことをアウトオブ眼中状態で聖杯戦争に語っているのにキレたシーン。第二章のクライマックスが慎二殺害による桜の覚醒だけに、第一章から含めて慎二のキャラ立てをきっちりやってくれた。桜に対しては光る小瓶を見て感情が爆発するっていう慎二の暴走のトリガーもさり気なく丁寧に描かれている。それでいてある意味で被害者だけど結局は加害者というラインは意識的に守られていて、士郎や桜に感情移入する側の邪魔にならない。だからむしろあえて慎二にも同情するという気持ちが起きやすいのが、こういうキャラも気に入りがちな自分には嬉しいポイント。小悪党が小さな悪事を積み重ねた末に大事を起こして死亡っていうのはありがちだけど、よく使われるだけの理由があるスッキリする展開だ。殺人と強姦だと量刑的に罪が重いのは殺人でも、どう見てもあの場面で可哀想なのは義兄を殺さざるを得なかった桜の方になるようにできてる。桜も加害者でもあり被害者でもあるのは慎二と同じで、士郎がエゴで救う相手を選ぶのがHFだけど、娯楽作品として重さを気持ちよく楽しむためには士郎と桜のエゴに自然にのめり込めたほうが満足感がある。それにしても知識としてはわかっていたとはいえ、全年齢版から入った自分には十八禁由来のセリフの数々は声優の熱演もあってインパクトが凄かった。「衛宮に教えてやらないとなあ(中略)いかに汚らわしく交わったかを!」(うろ覚え)。これまでファンからしてもネタにでもしないと触れにくかった間桐兄妹の腫れ物としての本質が、原作から15年を経て再びあらわになった瞬間だ。士郎とのものも含めてエロスはHFの重要な要素だと心から思えたし、このルートだけ映画でのアニメ化となったことで他の2ルートよりも激しい性描写ができたのは、むしろ最善だったんだろうと感じられた。

OPや序盤で冬木市の一般市民の日常生活をしっかり描写してたのが、それを飲み込む存在に成り果てた桜の怪物性を際立たせてて、いかにもそういうの好きな層のツボを抑えてる。生活感と情感マシマシでいい意味でメロドラマチックに仕上げてるのと、原作と起きたイベントは同じでも意味付けを変えてストーリーの味わいを別物に仕上げてるところなんかは、自分としてはるろうに剣心追憶編を思い出したり。

アーチャー(エミヤ)が士郎にとってどういう意味の存在なのかっていうのも、具体的な設定説明は無くても演出で表現され尽くしてて凄い。同一存在だけど別の可能性を成し遂げた人間で、人生の先達でもある。逃げ出した桜を見つけた士郎が凛・アーチャーの横を真っ直ぐに進んでいくシーンは、大義を信じる姉・兄ペアとエゴを選んだ妹・弟ペアの対比っぽくなって趣深かった。

看板ヒロインのセイバーは裏面的なHFではやや不遇だけど、バーサーカーとのバトルでは大迫力で存在感を示してくれる。あの窮地をともに乗り越えたことで、経緯の端折られたイリヤの仲間入り・同居もすんなり飲み込める。

設定説明をやる尺が無いだけに、その時実際に起きていることの描写と感情の動線をぶれずに扱うっていうのが全編を通じて徹底してる。