メモ帳用ブログ

色々な雑記。

※文章を修正

アニメ版『MIX』の今週の第5話見た。

今までのあだち漫画のキャラで、投馬の立ち位置に一番近いのは、『クロスゲーム』の月島若葉に対する滝川あかねな気がする。上杉達也はどこかで元気にやってるはずだけどね。

まず外見が似てて、行動もちょっと似たところのある、歴とした無関係の人間。周りは面影を求めて色々言ったり感じたりしてるけど、本人はあまり気にしてない。光たちはあかねと出会ったことで若葉の喪失を昇華してその上で若葉を一生忘れないと選択した。明青学園周辺の大人たちも、投馬のエースとしての姿を見ることで上杉達也というヒーローの卒業を受け入れて、一生のいい思い出にする機会を改めて得るのかもしれない。

「勝ったら全身で喜び、 負けたら心底くやしがる。 そんな選手にわたしはなりたい。」のナレーションは、この時点では投馬の心情を表しているように思える。実際に投馬の心情でもある。ではなぜ投馬のモノローグではないのか。

まずこの文章は宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のオマージュである。投馬の心情として捉えると一人称が「わたし」になっている部分は他にないし、ナレーションとして考えてもここ以外で一人称が使われたことはない。また、あだち先生の『SHORT GAME』にはエッセイコミック『雨にも負けズ』が収録されている。『雨ニモマケズ』は長年教科書に掲載されている有名な詩であり、よくパロディやオマージュの題材にされる。前向きで健康的なイメージがあることも後押しになっているだろう。ただし制作背景を鑑みれば、前向きや楽観とは程遠い悲痛な願いのこもった文章だったことがわかる。それが『MIX』のこの場面で『雨ニモマケズ』のオマージュを行った理由の鍵になるはずだ。

以下に『雨ニモマケズ』を一部抜粋。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ
丈夫ナカラダヲモチ

…中略…

ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

…中略…

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

※ヒデリは原文ではヒドリ。日照りの誤記とする説が一般的だが、日取りという日雇い労働者を指すとする説もある。

宮沢賢治が『雨ニモマケズ』を書いたのは1931年11月3日。このとき既に病床にあり、1933年9月21日に37歳で亡くなる。賢治の死因が肺の病なのは有名な話だ。だがそれがより具体的には肺結核だったことはあまり知られていない。1918年に、当時としては肺結核の宣告も同然の肋膜炎の診断を賢治は受けていた。友人の河本義行に「わたしのいのちもあと十五年はあるまい」と語ったといい、現実にその通りとなる。だが激しい差別の目から逃れて活動を続けるためにひた隠しにしたのだ。宮沢家も長年賢治の肺結核について語るのを避けていた。資産家だがルーツを京都に持つ移住者の子孫とみなされ、ハイマキ(肺結核の家系)として知られてもいたため、地元民の視線や死後に童話作家として名の上がった賢治の評判を意識して隠さざるを得なかったといわれている。

病気を隠して活動を続けた資産家の息子は『MIX』にもいる。第5話の試合の途中から水を差すように登板し最終回を前に退場した、いや退場するしかなかった二階堂大輔だ。この後の話で実は心臓病を抱え、目前の手術が失敗する可能性も非常に高かったことが明かされる。「勝ったら全身で喜び、 負けたら心底くやしがる。 そんな選手にわたしはなりたい。」という言葉は二階堂の心情でもあったのではないかと思うのだ。

第11巻59話にて「野球を続けたかったのは二階堂さんも同じだよ。」と走一郎が投馬に指摘している。