メモ帳用ブログ

色々な雑記。

幾原監督の作品について考えてて頭に浮かんだ恋愛とエロのやや下世話な話。主に百合。

百合にエロを求める派と求めない派があって自分は求めない派。今はエロがあってもアリになったけど、昔は基本的に無し派だった。

二昔前の日本のおハイソな方々には、男が惚れた女性へ劣情を向けないために女郎屋の女で発散するのが純愛、みたいな今から見るとかなり拗らせた価値観があった。これは極端な例だけど、純粋な恋愛とエロの欲望を切り離して捉えるような考え方自体は、今もそれなりに支持されているんじゃないかと思う。思春期以前の淡い初恋みたいなのが人気なのもそのへんが理由なんだろう。実際は思春期過ぎたら恋と欲望は不可分なものだし、大抵の人はあえて高尚な純愛を維持するよりもありきたりでも欲望込みで許容し会える愛に落ち着くわけだけど。

でも創作物は現実にある程度基づきつつ現実では叶わない理想を求めるものなので、欲望から切り離された純愛を求めるのもアリなんだ。自分の場合は思春期を過ぎたキャラで淡い初恋に近い関係を楽しむためのファンタジーとして百合を楽しんでいるところが大きい。本当の当事者の方には申し訳ないんだけど、異性愛者の自分にとって百合はファンタジー。女同士の友情ものでファンサービスとして匂わされている親密さの含みを邪推するのも楽しい。別腹として欲望込みの男女の恋愛も好きだから、現実的な女性カップルに近いものも読めるようになったけど、そういうのはどうしても男女もののほうが好きかな。百合にエロは求めていないので女同士の関係が第一である限りは、配偶者としての男の存在があっても気にしない。むしろ男女の欲望を知っても女同士の親愛を第一に貫けたほうが格が上がる気がする。二昔前の日本の拗らせ純愛みたいなのは、現実の生々しさから切り離された領域でなら、正直わかる。