メモ帳用ブログ

色々な雑記。

 あだち先生は花の24年組の少女漫画が好きなのだそう。筆頭に挙げてる漫画家は樹村みのり先生だけど、萩尾望都先生の名前も出すから代表作のトーマの心臓を読んでいるのは間違いない。

あだち漫画でトーマの心臓の影響がわかりやすいのはクロスゲームの滝川あかね絡みの部分。みんなの人気者が突然亡くなった後によく似た他人がやってきて周りに動揺が走るという要素が共通している。いわゆる二度目の死、人が本当に死ぬのは亡くなった瞬間ではなく忘れられた時だというテーマが扱われている。トーマの心臓の第1話には「人は二度死ぬという まずは自己の死 そしてのち 友人に忘れ去られることの死」という言葉があり、クロスゲームの最終話には「人が本当に亡くなるのは、 その人のことを思い出す人がいなくなっちゃった時なんだよな。」という台詞がある。

二度目の死は有名な話だし、ONEPIECEのDr.ヒルルクの「人はいつ死ぬと思う? …人に忘れられた時さ」というセリフとか色々な作品でも扱われている。ただ、由来は自分の調べた限りでははっきりしない。ネットだと永六輔氏が死の前に遺した言葉を初出としている場合が多かったけど、永六輔氏が亡くなったのは2016年でトーマの心臓の連載開始は1974年なので当然違う。とりあえず、映画リメンバー・ミーのインタビューで二度目の死ならぬ三つの死という言葉を見つけた。これはカトリック国であるメキシコでの考え方だそう。

「人間には“三つの死”がある、という考えを聞いた。一度目は心臓が止まった時、二度目は埋葬や火葬をされた時、三度目は人々がその人のことを忘れてしまった時だ。僕の心が最も痛んだのは、三度目の“最終的な死”だった。生きている人たちの中に、自分のことを覚えている人がもう誰も残っていない時、人は永遠に死ぬんだ。それは本当だ。僕たちには皆、もう知らない遠い昔にさかのぼる親戚たちがいる。彼らはある意味、失われ、忘れ去られている」

人が本当に死ぬのは忘れ去られた時…『リメンバー・ミー』の死生観 - シネマトゥデイ

これがカトリック教徒やキリスト教徒にどの程度広がっている思想かはわからない。それにトーマの心臓の舞台はプロテスタント国のドイツだ。でも神への信仰が重要なテーマなので、こういう教えを持つ宗派があるなら、萩尾望都先生がキリスト教について調べる中で知って取り入れた可能性は皆無ではないはず。