メモ帳用ブログ

色々な雑記。

恥ずかしい気持ちを表す言葉に穴があったら入りたいというのがあるけど、本当に穴の中に入りたいわけではないみたいな話。

ピラミッド建築の労働者の労働者時間がちゃんと管理されててしかも意外と短いという例とかを引き合いに出して、今より古代の方がホワイト労働だった、古代に生まれたかった、とか言ってる人をたまに見る。でも当然古代には電気も家電製品も便利な道具の数々もまだ発明されていないから、日々の生活を営むためには今よりもずっと労力を費やしていた。その大変さは台風などの災害で大規模な停電が起きるたびに、現地からの報道を見るたびに嫌でも痛感する。一人暮らしで一日中仕事をして、晩飯はレンチンでもそこそこ美味しい冷凍食品で済ませて、洗濯物はあとで纏めて洗濯機に、みたいなライフスタイルは古代には不可能だ。一説には現代人の消費する電気エネルギーは家庭内だけでも奴隷30人分に相当するという。30人分の奴隷に傅かれる主人とあっては、仕事が少しキツいことくらいは当然の責務のうちといえるのかもしれない。もし奴隷を減らしてでも責務も減らしたいのなら、地球上には(日本国内さえも)昔ながらの生活を続けている人々は今も確実に存在していて、彼らの仲間に入ることは決して不可能じゃない。

ただし古代はホワイトだったと口にする人が本気で古代のほうが現代よりも上だと思っているのかというと、おそらくそういうわけでもないだろう。ただなんとなく今の不満から逃れるために遠いどこかの名前を挙げているだけで、そのどこかはそのときどきの都合で南の島になったり江戸時代になったりRPG風の異世界になったりもする。死にたくもないのに死にてーとか言ったりもする(たまに本当に実行するほど追い詰められてる人もいて、その場合は大問題)。昔の人だってこの世とあの世の境に迷い込んで突然のウハウハな体験!とかウハウハなお宝!とかの想像はしていたらしい。神話とか民話とかは歴史があるからそれなりに高尚に思えるけど要は大昔に大ヒットしてロングセラーになったお話の集合な訳で、その手の願望の反映がうかがえるストーリーでいっぱいだ。民話の形態学によれば、民話で主人公が力を得るために必要な条件とは、地道な努力で実力を上げるとかではなく、試験にパスして贈与者から魔法の手段または助手を授かることだとされている。これは人類の民話で普遍的に見られる構造だという。現実を超えたアイテム・手段や仲間を手に入れて活躍するという点は今どきのウェブ小説にさえ共通している。

人間が現実逃避を図るときのアイディアはいつでもどこでもそう変わらないものらしい。