メモ帳用ブログ

色々な雑記。

プロパガンダ

出来の良いプロパガンダの構造は出来の良いエンタメの構造とほぼ同じだ。エンタメは絵空事として好きだけど、エンタメの中の教訓的な要素を真に受けるのは危ない部分がある。水戸黄門の再放送とかをたまに見ると楽しいけど、黄門様のありがたいお話は今の時代からすればあくまで別の時代の教条でしかない。人格者の権力者が悪代官から庶民を救うって構造自体が時代劇というお約束の中でしかもう成立しないものだ。一応は自分と比較することで何かためになる要素を引き出せなくはないけど。それにしても悪代官っていうのはエンタメ的に優れた舞台装置だ。悪いのは外からやってきた権力者で、地元の庶民はみんな被害者。黄門様が代官をすげ替えれば万事解決。
エンタメは出来が良ければ良いほどにショーになる。単純化される。他人事になる。
過剰な単純化やご都合主義っていうのは受け手の期待の方向とご都合の方向が合っている時には見逃されるものだ。露悪が望まれる文脈づくりができているなら露悪なご都合主義さえもショーとして消費できる。デスノートは出来が良いショーだった。正義にしろ露悪にしろ、整理整頓の行き届いたエンタメはあくまでショーとして楽しむものだ。単純化されていればされているほど他人の言葉を真に受けるのは危ない。
基本的にはちゃんとショーになっていて、あえて割り切れない部分が残されているとしたら、それがエンタメ作品なりのメッセージ性ということになるのかも。そういう割り切れない部分が少しある作品のほうがハマると抜け出せなくなったりする。