メモ帳用ブログ

色々な雑記。

自己認識

✕✕は卑怯者だから救われる価値がないみたいな話って糾弾する側の棚上げ発言が鼻につきがちだから、こういう難しいテーマは危険だ。言っている側が自分は潔白だと思い込んでいるのか、棚上げ発言なのを自覚していてそれでもあえて言わなくちゃいけない状況なのかっていうのも重要。私刑は危険。
とりあえず自分は卑怯者だな。法律の許す範囲で自分と自分が贔屓している相手に利益をもたらすことを最優先にしている。小さいところだとオペラ『ローエングリン』と書くべきなのにバレエ『ローエングリン』と書いてしまって、こっそり修正するような狡いマネも日常茶飯事。贔屓している相手がクズ行為をしているのだって言わないで済むことは言わないようにしている。
少を犠牲にして自分たちは助かろうとする多は卑怯だっていうのは正しい。でも少が多を犠牲にして生き残ろうとすればもっと卑怯だ。ただこういう極端な二者択一を迫る話っていうのは非常事態故の悲劇か、さもなければ悪質なプロパガンダだ。パニックホラーか対立煽りか。特に創作物なんて善玉も悪者も全部作者のマッチポンプ。だから悪玉の品位=作者と読者の品位って言われたりもする。
平和的にいくなら実は少を助けることが多を助けることに繋がるのだ!みたいな解決が望ましい。格差の是正が集団の生産力増強に繋がるとか、小さな集団内での対立がより大きな集団との接触で解決するとか。これはこれで胡散臭いけどね。ただ現実的には自分の正当性をなるべく円滑に社会に対して主張するにはこっちの路線しかない。バリアフリーとかも謳い文句はすべての人が住みやすい社会に、だね。
平和的手段(≠非暴力的手段)だけではうまくいかないのも現実だけど。
創作物としては、間違っているのは自覚しつつも自分の愛する少のために多を犠牲にする、みたいなのも好きだ。現実的では間違ったことはそうそうやれないからロマンチック。こういう話だと、お前は間違っていない路線より、お前は間違っているけどそれでも好きだ路線のほうがより好み。