メモ帳用ブログ

色々な雑記。

第8話で白小小が三眼に自害を命じて村人を殺し始めた時、自分は間違った方向に発揮されてしまったとはいえこれは白小小のある種の強さの表れであり、白小小の決断の結果だろうと感じた。良くも悪くも普通の人間ならどんなに追い詰められても積極的な殺人を行うことなんてできないだろうというのが自分の先入観としてある。だから追い詰められたとはいえ自分で過剰な復讐を選択した白小小には責任と罪があるはずで、選択の責任と罪に高皓光がどう向き合って罪を罪として許していくのかという話になるんだと思っていた。

でもその後の展開からすると、白小小は運命に操られた純然たる被害者という位置づけらしい。死を選んだのも責任を取ったからというより運命に押しつぶされたからと考えたほうが良さそうだ。白小小に村の子どもたちが何人も一斉に刃物を持って突撃していった時の謎の蛮勇ぶりをみるに、あの世界の人間はみんなブチ切れれば深く考えずに人を殺してしまうのが当然なのかもしれない。それがあの世界の普通の人間が普通に持つ弱さということなのかもしれない。それが運命と天に操られるということなんだろう。

だとすると哀れな白小小は三眼の思惑通りに誘導されてしまっただけであり、怠惰で人間性のない三眼は天の思惑通りに誘導されただけだと考えるのが妥当なんだろう。三眼には悪意を持てるような情緒は存在せず、もし悪意があるように見えるとしたら三眼を操る天が理不尽なせいということになる。

だから白小小に自害しろと言われた直後の三眼の感情は、西暦525年に自害した時とは違って全部自分の誘導通りにできたけど運の悪い出来事に遭遇して自分が損する点は西暦525年の時と変わらないなというちょっとした自嘲の気持ちと判断すればいいのかも。

この時の三眼の独白も日本語版と中文版でニュアンスが違う。

(日本語版)

「またこれか…」
「これで最後だ 手加減する必要はないな」
「別に悲しくもない モットーに従っただけだ」
「後悔なんてない」

(中文版)

「又一次吗? 只是这一次,」
「没有留手的理由了,」
「真的是令咱哭笑不得。」
「只不过为了原则…」
「咱不会后悔。」

(直訳)

「もう一度か? だが最後の一度、」
「手加減する理由はない、」
「本当に泣くにも泣けず笑うにも笑えない。」
「ただ原則のためにやるまで…」
「後悔はしない。」

 

ついでにいうと、自分は三眼が白大の記憶を受け継いだと勘違いしていたから、それによって三眼は白大の情緒を多少受け継いで白大に対して生じた情の大きさのあまりに子孫の白小小を死に追いやってしまったのだと考えていた。白大に対しては個人としての情があったけど、子孫に対しては白大に連なるものという点での関心しか持っていなかったから、自分の白大への殉死に無理やり子孫を付き合わせて死なせてしまったのかなと思ったりもした。でも中文版をよく確認すると三眼は白大の記憶を受け継いだわけではないし、白大を恩人と呼ぶのも人情というより義理100%のようだし、白大の子孫に対しても自分が義理を裏切ってしまったことが発覚するまではなんの関心も持っていなかったようだ。三眼は人間性がほぼ残っておらず私情も薄いから借りは必ず返すという義理に従って死ぬことができた、一方で人間には私情も愛情もあるから義理を裏切った行動や不合理な行動をとってしまうこともあるというのが黒山村の対比かな。ただし三眼にも屍者としての本能ともいうべき長生きして強くなるという望みはあった。それに千年以上見守った木に対しては対象なりとも愛着があったから死の間際に負けたと思える程度の情緒はあった。

高皓光に求められるのは義理と人情を両立しつつネクストステージに進んで、生者と屍者すら融和させる感じのアレ。