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色々な雑記。

中国の農村の支配層といえば郷紳だけど、黒山村の村長はどう見ても科挙を受験したことがあるふうではない。中央を見たこともないくせに地元にひっついたままで一端の有力者を気取る小中地主といった雰囲気だ。
村長という役職は清代では公的な役職でも一般的な役職名でもない。中華民国期以降に公的な役職となる村長という名称を使ったのはわかりやすさを重視したためだろう。農民の合議組織で互選される取りまとめ役を村長と呼ぶこともあったらしい。この場合の村長の階級はもちろん農民だ。
清代の農村は郷紳を中心に自治が行われた。納税も郷紳を通じて行われる場合が多かった。清代から中華民国期にかけて、匪賊に対抗する自警団・義勇軍を組織したのも郷紳や元郷紳階級の人間だ。
黒山村を指揮下におさめていた郷紳は黒山村の外に住む不在地主だったと判断できる。もしかしたら黒山村以外で三眼に従った2つの村の片方にその郷紳が住んでいたのかもしれない。