メモ帳用ブログ

色々な雑記。

段星煉の感想から判断するに、黒山村のエピソードから得るべき教訓は、運命は残酷だ、人々を傀儡にしている運命に抗え、ということらしい。村人は白家に生贄を押し付けたが自分と家族が生き延びたかっただけで最初は悪意がなく、白小小は復讐に走ってしまったが悪意はなく、三眼はサイコパスで人間を食って生きる屍者だが悪意はなかった。村の人間や白小小を操った三眼も運命に操られていた。
少年漫画の正義だと、今までに悪事を犯していてももう悪事を働かないなら見逃される場合がある。主人公の協力者になるならむしろ善人扱いされるようになることさえ珍しくない。悪の上司に従わされていたとか、正当防衛や過剰防衛を行ってしまったとか、あるいは緊急避難的な状況に陥っていたとか。悪事の明確な原因があるのなら、その原因を取り除けばもう悪事は働かなくなると理屈付けられる。
そういう観点でいうと、少年漫画で生きた人間を食わねば生きていけない化け物をメインで扱うのは難易度が高い。死人も食べられるならそこまで深刻でない方向にもできる。吸血鬼も血液だけでいいなら輸血バンクを利用できるし、そういう作品も多い。敵が生者しか食らえなくても、主人公と絶対に和解しないのならまだどうにかなる。悪人だけを食べるダークヒーロー的なサブキャラも、悪人の定義をめぐる問題の扱いが難しい。和解するなら、前提を捻じ曲げてでも化け物が生者を食わなくても生きていけるようになる方向に話を持っていくことになりがちだ。
フィクションの人間を食わねば生きていけない亜人への対処というのは、食物連鎖で考えるよりも、定期的な生体臓器移植が必要な病気になぞらえて考えたほうが適当なように思う。特に加害者と犠牲者の関係においては。現実的に考えると、移植以外で治療できるならいいけど、できないとしても健康な他人を代わりに死なせることは許されない。もっとも本当の現実でも金にものをいわせて健康な人間を犠牲にしている人間はいるらしいけど。本物の病気なら一度移植すればもう犠牲を出す必要がなくなるとはいえ。