メモ帳用ブログ

色々な雑記。

自害した三眼は意識を失う寸前に、自分がかつて植えて今は大きく成長している木へと目線を向ける。
「一千年前咱刚可以行动时就种下的你。 每几百年醒来一次对着你发呆, 发着发着长这么大了…」
「一千年前俺が動けるようになった時に、すぐ植えたお前。 数百年ごとに一度目覚めてはお前を見つめて、 そのうちにこんなに大きくなった…*1
ここだけ見ると文句なしでいい話だ。一方で、白家の行く末はろくに確認していなかったことを考えると、白家は思い入れのある相手というより本当に義理だけの相手なんだろう。三眼にとっての苗木が白小小にとっての村の子どもたちで、三眼にとっての白家が白小小にとっての真実が判明する前の村の大人たち。三眼は大昔の借りと義理に従って死ぬことが道理だと思っている。
三眼と苗木の関係は何の問題もない。同じ個体同士の関係でもある。千年以上をほとんど寝て過ごした三眼からすれば、南北朝時代に問題が起きた村で清代にも再び同じ家を巡って似たような問題が起きていたら、村人をひとまとめに同一視してしまうのもあり得ることではあるんだろう。三眼は人間だった頃の記憶もろくになく、人間のことを基本的に食料としてしか認識していない。でも南北朝時代の村人と清代の人間は別の人間だし、清代の人間もひとりひとり別の人間だ。長生きで1つの大きな個体である木とは違う。ただ、木に対するような接し方しか人間に対してもできない中文版の三眼はこれはこれでいいキャラだと思う。フィクションの突き抜けたサイコパスは清々しいものだ。三眼の所業で強引に人情路線に寄せるとヘドクズにしかならないし。