メモ帳用ブログ

色々な雑記。

日月同错は清末が舞台の伝奇漫画だけど、主人公の高皓光は妙に現代的というか不自然に西洋的な価値観を持っている。西洋留学に憧れているし、列強の中国進出さえ肯定的に捉えている。
高皓光のいう有罪・無罪の境はどこにあるのか。とりあえず近現代的な価値観を参考に登場人物たちの行動を判断してみる。
前提として、命の危機が差し迫った状態で、加害者を返り討ちにする正当防衛や、自分や身内の命を守るために他人を身代わりにする緊急避難は、現代社会でも一般に認められている。しかし既に権利が侵害された状態で、公権力の力を仲介させることなく、自力でその権利を救済する自力救済は、現代社会では通常認められない。復讐は自力救済の代表的なものだ。それでも日月同错は動乱の清末が主な舞台だけあって同害報復くらいなら正義の範疇に入る印象がある。目には目を、歯には歯を、1人の犠牲者には1人の犠牲者かそれに釣り合う賠償金を。一方で、国家権力の不法な行使に対して人民が反抗する権利である抵抗権は、近現代において認めている民主主義国家が多い。高皓光や姜明子も同時代の政府や既得権益層に対して否定的だ。
三眼は去年出現したと第4話で白小小が証言しており、三眼本人も1、2年前に回復したと第6話で語っている。三眼は千年以上のほとんどを休眠していた。それまでは黒山村と白家の間で大きな諍いはなく、白家の父親は時々山の外に出ていた。
まず三眼は生きた人間でもないのに人間を殺している。そしてそれを天経地義として捉えている(天地の道理)。人間と考えないなら駆除していいはずだし、人間として考えた場合でも大量殺人犯だ。緊急避難にも当たらないだろう。しかし罪を責められる前に自害してしまった。
村長は三眼の共犯と考えていいはずだ。自分と家族の安全を守るためとはいえ、命の危険が差し迫っていない状況で、三眼に対して生贄の提供を持ちかけている。差し迫った危機を対象とする緊急避難には当てはまらない。村長が事前に相談していた者がいたら、その人間も共犯になる可能性がある。
村人でも白小小の両親を見殺しにしただけなら、おそらく大きな罪にはならない。村長と三眼の裏取引を事後的に察したとしても、事前に相談に加わっていなければ、自分たちの命を危機に晒してまで白家を助ける義務はない。ただモラル的に問題があるのは間違いなく、高皓光としては死ぬほどではないが罪があるという扱いらしい。もちろん暴力や言葉で生贄になるように強いた人間は共犯になる可能性がある。
白小小・高皓光・黄二果の3人を縛り上げて三眼に差し出した村人たちは、緊急避難でなく過剰避難になるはずだ。村長はこの件も三眼と共犯といえるはず。
白小小を村長が殴ったことから始まった高皓光と村人の殴り合いはお互いに過剰防衛になりそうだ。
白小小は自分に生命の危機がない状態で村人を300人近く殺害した。心神耗弱の有無はともかく殺人だ。清代でも江戸時代の日本と違って仇討ちは殺人罪だ。
村の子どもたちは何も知らず白小小とも仲良くしていたから無罪だった。白小小を刺して死なせたのは殺人かもしれないが、過剰防衛といえなくもない?