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色々な雑記。

日月の黒山村編では、中文版の「活祭(生贄)」が日本語版だと「復活」と誤訳されている。それに伴いストーリー上重要なポイントがいくつも改変され、不自然になっている。
中文版では
①白小小は、生贄を要求する屍者が現れて村人全員の命を人質に取って脅迫したために、やむなく白家は生贄にされたと信じていた。白家は千年前の罪人の子孫だとされていた。
②生贄を捧げている件に対して、村長は通りかがりの求法者は全て殺されたし、三眼は外敵を食ってくれると主張する。高皓光は柵もないのに逃げないのはおかしいと言い、村長は三眼の神通は広大で生贄を捧げている3つの村から生きて逃げられた人間はいないと反論する。しかし白小小の後はもう捧げる義のある生贄はいないと高皓光にやり込められる。
③三眼が千年前に先に手を出したのは村人のほうだと暴露する。また、村人や馬賊を食っていたら、複数の村の年寄りのほうから生贄を持ちかけてきて、それは家族を三眼に食われないようにしたかっただけだと暴露する。
④白小小は先祖の罪も脅迫も嘘だと知って怒りを爆発させてしまう。
という流れだ。
日本語版では
①白小小は、村人は自分たちの手で三眼を復活させようとしたと思っていた。
②村人が逃げないことに対して村長が生きて逃げられた生贄はいないと反論し、受け答えが意味不明になっている。3つの村の村が生贄を捧げているという情報も削除されている。
③村人や馬賊を食っていたら村の年寄りが生贄の交渉を持ちかけてきたと暴露する。だが日本語版では村人が三眼を復活させようとしたと信じられていたので、三眼の暴露は村人の緊急避難性を増してしまい、むしろ擁護になる。
その代わりにか複数の村が生贄を捧げたという情報が削除され、黒山村から白家以外も生贄にされたような印象に改変されている。しかし、これだと黒山村は定期的な生贄のために白家を捧げることをなるべく避けようとしていたことになってしまう。犠牲を押し付けられた白家と押し付けた村人という対立構造が崩壊する。白家以外の村人からも犠牲が出ていたら高皓光と村長の口論が意味不明になる。
約300人の小さな村で白小小も白小小と頻繁に接触していた子どもたちも白家以外の行方不明者を知らなかったこともおかしい。日本語版では数百年に一度、大きな戦乱が起きるごとに三眼を復活させていて、白家以外の生贄はその時に捧げられたと考えるとするなら、動き回れる状態の三眼が何度も長期間休眠する意味がわからない。外敵を排除できるほど傷が治っているなら休眠せずに人間を食えばいい。黒山村のために休眠してやる義理はない。三眼は白大の子孫が黒山村にいるとは知らなかった。中文版ではあくまで傷が治りきっていないために千年以上休眠していた。
④日本語版では白家以外も黒山村から生贄に出されたことになっているので、白小小の怒りの半分が意味不明になっている。