メモ帳用ブログ

色々な雑記。

選択の重要性と難しさ、その対になる運命論をテーマにした漫画だと、最近完結したばかりの進撃の巨人なんかはいい例だ。
リヴァイ兵長は数多の死線をくぐって生き残ってきたからこそ、正しい選択をすることの難しさをよくわかっている。主人公・エレンが仲間を信じるか自分を信じるかの選択を迫られた時も、正しい選択は誰にもわからないから自分にとって悔いのない選択をするように勧めた。これまでも調査兵団は多くの失敗を経験し多くの犠牲を乗り越えてきた。そしてこのあともそうなる。
リヴァイ兵長は少女だが調査兵団の一員であるヒストリアにも自分で自分の選択をするよう強く迫った。この時に人はいいが単純なコニーたちに強要だと反感を持たれてしまう。しかし頭のいいアルミンたちはそう思わなかった。これによりリヴァイ兵長が強い態度をとったのはあくまで自分自身の選択を大切にしているからだと描写されている。
また、エレンの同期たちが対抗勢力の人間を殺害して仲間を守った時も、リヴァイ兵長はその決断を褒めつつ躊躇した部下の甘さを窘めた。しかし躊躇した部下が謝ってきた際に「ただしそれはあの時あの場所においての話 何が本当に正しいかなんて俺は言っていない そんなことはわからないからな… お前は本当に間違っていたのか?」と疑問を投げかけた。
この本当に正しい選択などできるのかというテーマは終盤で特にクローズアップされる。最初にエレンが信じていた価値観は中盤から次々と覆されていく。
運命論はそんな選択の重要性を無効化してしまう世界観だ。終盤の展開では運命論的な世界の仕組みさえ明らかになる。しかしあくまでちょっとした皮肉に留まるバランスに押さえられていたので、これまでの登場人物たちの選択や奮戦に過剰な水が差されるようなことはなかった。最終回のあのコマが、情熱大陸時点で予定されていたとおりに最後のコマとなっていたら、より皮肉さが全面に出たラストになっていたかもしれない。