メモ帳用ブログ

色々な雑記。

進撃の巨人の壁内人類は100年以上自分たちが人類のすべてだと教えられていた。だから自分たちが民族だという自己認識、民族意識がずっとなかった。それが壁の外の世界を知ったことで民族意識を再び持ち始める。でもエレンには最終回でもエルディア人という概念に対する誇りはあまりなかったんじゃないかと思う。エルディア人である以上に、第104期訓練兵団で調査兵団のエレン・イェーガーという自己認識を持っていた。エレンが主に考えていたのは、自由になりたいということと、巨人を一匹残らず駆逐するということと、調査兵団の仲間のことの3つ。エルディア人という概念の存続に本心からの使命感を持っていたようには思えない。もちろん全滅という不自由を押し付けられることには反発していたし、島の存続を大義名分にすることの責任を背負いもしていたけど。
進撃の巨人だと、壁の中に籠もることが否定的な平和の象徴で、森の外に出ることが肯定的な平和の象徴として描かれている。戦わないと得られないものがあり、戦うだけでは得られないものがあることも描かれている。戦いと平和、そのそれぞれの両義的な面と向き合っているから話は複雑だ。解放や自由を基本的には肯定的に扱っているけど、そうとは言い切れない部分もある。ただ、たとえ最後は無残に死のうとも、生まれてきたことに価値はあると思えるようになりたい、という姿勢は一貫しているのかな。