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色々な雑記。

比喩の例だと、進撃の巨人の現在無料公開話のこれがわかりやすい。

同じものがアルミンには枯葉に、ジークには野球ボールに見えている。それが象徴するものは日常でふとした拍子に感じる生きる喜びだ。
進撃の巨人』終盤で重要になるポイントの1つにアルミンの価値観がある。
アルミンは家族を口減らし同然の無策な奪還作戦に駆り出した王政にじっとしていられずに兵士になった*1。確かにウォール・マリアを放棄した状態ですべての人口を支えることは不可能だっただろう。しかしろくな作戦もなしに口減らしされた人口の2割や家族を失った者にとっては、仕方ないの一言で済ませられるような問題ではない。アルミンは口減らしのおかげで生き延びた8割の人々を恨みこそしなかったものの、こうした状況にただ従うことはできなかった。
アルミンは何かを変えるために犠牲が必要なことは重々承知している。任務遂行のために隊員を犠牲にしたエルヴィン団長が非難された際も「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人は、きっと…大事なものを捨てることができる人だ」と擁護した。アルミンが嫌うのは単なる無計画による犠牲、犠牲のための犠牲だ。
終盤ではエレンたちが住むパラディ島民(エルディア人)が世界の脅威と見なされ、総攻撃を受けそうになる。エレンはそれに対抗し、巨人の力を使って島外の全人類を滅ぼそうとする。アルミンはそれに反対する。パラディ島の全人口は250万人(アニメでは100万人)。島外の世界人口は不明だったはずだが、現実世界では1900年の世界人口は16億人だ。世界からすればエルディア人を皆殺しにしても2割とは比べ物にならないわずかな犠牲でしかない。それでもエルディア人の大部分は犠牲になどされたくない。しかし島外の全人類を皆殺しにするのも正しくはない。そういった葛藤が描かれる。アルミンは目的さえ明確なら最小限の犠牲を出すことを厭わないが、この場合は目的をどこに設定すべきかさえ定かではない。また、考えなしの虐殺にアルミンが反対することはエレンもわかっているはずで、そうなるとエレンの真の思惑は何なのか。ところで2割と8割は対比として意識しているのか、単に人間が思いつきやすい数字がそれっぽくなっただけなのか。

*1:原作では両親が口減らしされた。アニメなどでは両親は気球で飛ぼうとして死亡し、祖父が口減らしされた。原作ではアルミンの両親と気球の関係は明示されていない。しかし原作の気球で飛ぼうとして憲兵に殺害された夫婦(人相不明)がキャラクターブックでアルミンの両親として記載されている。アルミンは最後まで知らなかったが実は両親は憲兵に殺害されて奪還作戦で死亡したことにされた可能性が高い。