メモ帳用ブログ

色々な雑記。

主人公は未熟だから今は犠牲を少し出すけど最終的にはより多くの人々を救うはずだから許してやってくれ、みたいなのは典型的な「大の虫を生かして小の虫を殺す」考え方だ。
黒山村編の高皓光は「大の虫を生かして小の虫を殺す」理屈で安易に自己正当化を行う村人を批判していた。だがいざという時に小を生かすか大を生かすか決めきれず、結果として小も大も死なせてしまった。心情的には小の虫を生かして大の虫を殺したかったが、人道的にそれが正しくないことはわかっていた。だが人道的に正しく小を止めようとしても覚悟が足りなかった。
高皓光は失敗を反省した。こうした失敗から出発できる道は大きく分けて3つある。
①大の虫を生かして小の虫を殺すことを受け入れる。
②自分が生かしたい相手を生かし、殺したい相手を殺すことを覚悟する。
③大も小もどちらも生かすことを決意する。
高皓光は③を目指すようだ。高皓光を導いた姜明子がもしわざとこうした状況に追い込んで成長させようとしたのなら、姜明子は①の考えの持ち主ということになる。しかし姜明子は事態がこうなることを予想していなかった。高皓光の力と選択を見るためにあえて手出しはしなかっただけで、結末がわかっていた訳ではない。黒山村編に限らずストーリー全体の描写からして姜明子は明らかに②を選んでいる。