メモ帳用ブログ

色々な雑記。

権威主義的な作品っていうのは、人格がクソガキの無能で大きな被害を出す要因になったにも関わらず、主人公は何もせずとも運命で三真同月令に選ばれし者という肩書きを持っていて、最終的には世界を救う地位に就くことが決まっているから、現状は大目に見て好感を持つのが当然だよね、みたいな姿勢の『日月同错』の序盤のことだ。黒山村編の高皓光は庶民を見下して見殺しにしただけだ。
もちろんこれは意図された未熟さで、反省して成長するバネになるイベントだ。でも肩書きで将来を約束することで現在の失敗に対する受け手の失望をごまかそうとしている。今は失敗してしまったが将来は有望だと思える要素はあの時点の高皓光からは全く見えてこなかった。
重荷を背負わされた故の悲劇というのとも違う。三真同月令に選ばれし者だから世直しができると思い込んで、他人の厄介事にマウントを取って、その他人が死にまくっただけだ。そういう意図のエピソードで反省イベントとはいえ、単純に高皓光の選ばれし者としての資質を疑いたくなる。