メモ帳用ブログ

色々な雑記。

先手を打って書いておく。
宮崎監督の『風立ちぬ』でカプローニ伯爵はメフィストフェレスと位置づけられている。カプローニが初登場する場面で絵コンテのACTION欄には「狂気をやどすドup メフィストフェレス」と注釈してある。また『風立ちぬ』のパンフレットに掲載されたコメントによると、カプローニの声優を務めた野村萬斎さんははじめカプローニを聖人のように演じようとしたが、宮崎監督からカプローニは二郎にとってのメフィストフェレスだと言われ、演じ方を変えたそうだ。宮崎監督はストーリーを練りながら絵コンテや制作に入ることで有名な監督だが、カプローニがメフィストフェレスだというイメージは最初から最後まで一貫している。メフィストフェレスは人間と契約して願いを叶える代わりに魂を奪う悪魔だ。
つまり二郎は『ファウスト』でメフィストフェレスと契約したファウスト博士のポジションになる。
結果的にファウスト博士に弄ばれて非業の死を遂げるものの、最後にファウスト博士の魂を救うヒロイン・グレートヒェンと菜穂子を重ねられなくもない。ただ菜穂子とグレートヒェンの近似は最初からの構想というよりは結果的なもののようだ。ラストはスケジュールに追われてとりあえず話を纏め、後で改めて物語を解釈してセリフなどを修正したことは多くのインタビューで自白している。

――『風立ちぬ』についてお聞きします。長編最後の場面のセリフを「あなたきて」から「あなた生きて」に変えたとプロデューサーが以前にお話されていました。宮崎監督が考えていたものとは違うものになったと思いますが、長編最後の作品として悔いのないものになったのか。また今変えたことについてどう思っていますか?


宮崎監督:『風立ちぬ』の最後については本当に煩悶しました。なぜ煩悶したかというと、とにかく絵コンテを上げなければいけない。制作デスクにさんきちという女の子がいますが、本当に恐ろしいです(笑)。他のスタッフと話していると床に「10分にしてください」って貼ってあるとかね。机の中に色々な叱咤激励が貼ってありまして、そんなことはどうでもいいんですけど(笑)。とにかく絵コンテを形にしないことにはどうにもならないので、とにかく形にしようと形にしたのが追い詰められた実態です。それで、やっぱりこれはダメだなと思いながらその時間に絵が変えられなくてもセリフは変えられますから、自分で冷静になって仕切り直しにしました。こんなこと話してもしょうがないですが、最後の草原はいったいどこなんだろう――これは煉獄であると仮説を立てたのです。ということは、カプローニも堀越二郎も亡くなってそこで再会してるんだ、そう思いました。それから奈緒子は、ベアトリーチェだ、だから迷わないでこっちに行きなさい、と言う役として出てくるんだって。言いはじめたら自分でこんがらがりまして、それでやめたんですよね。やめたことによってすっきりしたんです。『神曲』なんて一生懸命読むからいけないんですよね(笑)。

宮崎監督は一旦はダンテの『神曲』になぞらえて菜穂子をヒロインのベアトリーチェと重ねる解釈をしようとしたが、やめたのだそうだ。それにより菜穂子の「来て」を「生きて」に変える発想が湧いたようだ。ダンテの『神曲』とゲーテの『ファウスト』は比較的似通った構成の作品であり、ヒロインの果たす聖母的な役割にも近いものがある。当然ゲーテは高名な古典文学である『新曲』を知っており、ダンテについての小論も書いている。また『ファウスト』には『神曲』を意識して書いたことが読み取れる部分があるという。