メモ帳用ブログ

色々な雑記。

宮崎監督の仕事に対する姿勢は、先のことをすべて見通せるわけではないんだから自分のやりがいが感じられる仕事に力をつくせというもの。
宮崎監督は自分の仕事に対しても、すでにアニメの洪水が起きている中に少しは綺麗だからと自分の水を注ぐことが正しいかどうかはわからない、それでも生産者は生産を続けるしかない、という趣旨の発言をよくしている。

――大正から昭和にかけての時代が舞台だが、あからさまな戦争場面は出てこない。戦争表現をどう考えているか。

堀越二郎の戦闘機が1番活躍したのが中国大陸。本庄の設計した爆撃機を援護するのに使われた。映画にするとなると、中国軍と空中戦をやることになる。中国や朝鮮半島全体(の人たち)がどういう感情を持つのか当然予測はつく。あの時代を描く時には避けて通れない問題だ。やらなければならないのであれば、やるしかないと思ってこの作品の制作に入った。(結果的に描かなかったのは)あえて避けたのではなく、(描くべきことは)その時代に自分の志にまっすぐ生きた人がいたということだった。堀越と堀辰雄の2人はインテリで、とんでもないところに(日本が戦争に)行くということを予感している。分かっていても一切そういうものとかかわらない生き方はできるのだろうか。僕は違うと思う。職業人というのはその職業の中で精いっぱいやるしかないんだ」
「まるで歴史的感覚をなくしたわけではありません、と言い訳するように、軍の行進の場面を入れたりということはやめようと思った。歴史というものはそういうものだからとあいまいにしたり、零戦は強かったという表現をしたり。そういうインチキ映画は作らない。一生懸命やった人たちのことを描く覚悟をした」

――監督が敬愛の念を抱く小説家・堀田善衛。今回の作品ではその影響が色濃く出ている。

「堀田さんは『空の空なればこそ』という随筆集で旧約聖書の伝道の書の『凡(すべ)て汝(なんじ)の手に堪(たふ)ることは力をつくしてこれを為(な)せ』を引用している。力を尽くせ、という言葉は単純ではあるが胸に刺さった。二郎の夢に出てくるイタリアの飛行機製作者カプローニが二郎にたびたび『力を尽くしているかね?』という言葉をかけるが、やっぱり、どんな状況であれ力を尽くしてやった方がいいと思う」