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色々な雑記。

尾形理論では罪悪感があることと祝福を受けたこと(祝福=親の愛。両親の間に愛がある、または両親のどちらかでも愛してくれれば祝福を受けたことになる)はほぼイコールで結ばれている。それでも尾形が自分を欠けた人間だと思い込み、欠けた人間にふさわしい道を自ら歩みだしたのは、自分は祝福を受けていないと感じていたからというのが先に来ると思う。
尾形は母親を愛していたが、母親は尾形を愛していなかった。少なくとも尾形の望む愛を授けることはできなかった。
そして尾形はもしまだ父親が母親を愛していれば母親を殺せば父親は葬式に訪れるだろうと思いついた。父親が来れば父親に会いたいという母親の望みを最後に叶えることができるし、父親と母親の間に愛があったことを自分も確認できる。しかし父親は来なかった。尾形も母殺しの罪悪感を持つことがなかった。ここから祝福、即ち親の愛が欠けた人間は罪悪感も持たないという尾形の思い込みが生まれてしまう。実は尾形にも罪悪感がないわけではなかったのだが。