メモ帳用ブログ

色々な雑記。

翻訳された本だとどうしても元の言語でのニュアンスが気になるのでメモ。
ゴールデンカムイの言葉の使い方で混乱するポイント、例えば正義や道理の使い方が特殊であるとか、罪悪感が後ろめたいというよりも罪の意識があるというニュアンスが強くて後悔や自責と必ずしもイコールで結ばれていないとか、は元ネタの本の英語のニュアンスが原因になっている部分があるようだ。

この本での重要なポイントの原語
正義の・道理のある→righteous
罪悪感→guilt
強制された場合もしくは正当な理由を与えられた場合、全男性の2%は後悔や自責を感じずに人を殺すことができるだろう→
there is 2 percent of the male population that, if pushed or if given a legitimate reason, will kill without regret or remorse


下記の引用部分の要約。guilt(罪悪感)は罪の意識という色彩が強く、remorse(自責)は悔い改めるという色彩が強い。


罪悪感(guilt) vs 自責(remorse)

罪悪感(guilt)は、人間の行動に欠かせないものと考えられていますが、非常に複雑な感情です。しかし、罪悪感(guilt)という言葉は、しばしば様々な意味合いで使われます。一般的には、ある行為、例えば犯罪を犯したことを自認し、その影響が一部の人に悪い影響を与えた可能性があることを認める状態を表すのに使われることが多いようです。悪いことをしたと自覚した後の、心の葛藤を表現しています。しかし、罪を認めることが必ずしも自責(remorse)につながるとは限りません。少なくとも法的な観点からは、自責(remorse)の色を見せずに有罪(guilty)になることは完全にあり得るので、自責(remorse)と罪悪感(guilt)を区別することは極めて重要です。 


自責(remorse)は、ある人や人々に対して有害な行動をとったことに対して、全責任を負うという自覚から生まれます。それは、自分の倫理的基準が侵害されたことを感じさせます。自責(remorse)は、あなたがしたことがあなたの本質的な悪の道を証明したとか、あなたが不道徳であるということを意味するのではなく、損害を与える可能性のある行動をなくすために前向きな措置を取るように指示します。
罪悪感(guilt)と自責(remorse)の大きな違いは、罪悪感(guilt)が自己破壊的な傾向をもたらすのに対し、自責(remorse)は建設的な行動を導くということです。