メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ゴールデンカムイの鯉登は、最終回後も似たような状況になれば「泥棒猫は撃ち殺せ」というだろう。それは間違いなくひとつの正義で、ひとつの道理だ。鯉登は軍人としての己に誇りを持ち、「同胞のために身命を賭して戦う」ことが「軍人の本懐」だと語っている男だ。
差し迫った状況で、敵を殺さない選択をすることは味方を死なせる選択をすることだ。もちろん差し迫った状況にならないように力を尽くすのが最善だが、なってしまったら次善の策を選ばなくてはならない。
ただし、敵を殺す選択が唯一の正解だというわけでもない。
現実では、暴力的な圧制者に対してあえて非暴力に抵抗を続け、自分たちの流す血を世界に発信することで世界からの支持を集めるという政治運動が行われることもある。それなりの成功を収めた事例も存在する。だがある程度民主的・自由主義的な国家相手なら有効な方法ではあっても、専制主義国家相手では黙殺されて終わりだ。
また、同じくエンタメ漫画である進撃の巨人では、主人公・エレンたちは長い間調査兵団の仲間を守るために敵を容赦なく葬る選択をしてきた。しかし要所要所で本当に正しい選択は誰にもわからないと釘を差されていた。そして終盤、エレンたちエルディア人が世界の敵と見なされるようになり、エレンを含む少なくないエルディア人が他の人類を皆殺しにしてでも生き延びる道を選び、そうしたエルディア人とエルディア人だが他の人類の皆殺しを止めようとする調査兵団が殺し合いになる、という悲惨な展開になる。仲間の一人であるヒストリアとその子供たちを代々生贄である巨人にし続けて島を防御することが最も犠牲者を少なくできる方法ではあったが、自由を重んじるエレンはそれを選択することができなかった。最終的にはエレンが自分の仲間たちが天寿を全うする時間を確保できる程度までで人類の抹殺を終え、世界からの巨人の力を消し去り、その後はその後の人類に委ねる結末に辿り着いたことで、エルディア人のほとんどと人類の2割は生き残った。