メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ゴールデンカムイは相容れない価値観を持つ人間が大勢出てきて、それ故のすれ違いも描かれる。レタラと二瓶のオス同士のぶつかり合いに、戦いの浪漫を解さないレタラの妻が横槍を入れるというのもその一例だろう。ただ、二瓶は横槍を入れたレタラの妻を憎むことなく、野生の現実をありのままに受け入れて亡くなっていった。
ゴールデンカムイの主題は金塊争奪戦だ。大勢の人間が自らその戦いに身を投じ、亡くなっていった。自らの望みに命をかけられた者はたとえ亡くなったとしても本望だろう。戦わずに生きるほうが戦って死ぬよりも後悔を生む場合もある。アシㇼパが回想した死者で戦って後悔した者はほとんどいないはずだ。陸海軍の兵士たちやパルチザンたちは自分の死が結果に結びつかなかったと知れれば後悔するかもしれないが。
しかし少女であるアシㇼパが死者たちを見て、彼らも戦わずに生きられたら、という思いが強くなってしまうのは仕方のないことだ。アシㇼパは殺し合う必要性は理解できても、殺し合う喜びは理解できない。アシㇼパと彼らは価値観がやや食い違っている。どちらが正しいとか、どちらかがどちらかを馬鹿にしているとかの話ではない。
アシㇼパはそうした価値観の持ち主だから、死者たちが戦いに身を投じたのは呪われた金塊に惑わされたせいだと考えてしまった。死者たち自身の覚悟と選択を肯定的に捉えきれなかった。最後に金塊を封印する選択をしたことにはそうした要因もあったように思う。
また、列車で鯉登が鶴見の下へ向かう月島を止めたのも横槍といえば横槍だ。ただ鯉登は2人の価値観を理解しきれなかったからそうしたのかと言われれば少々違う。まず鶴見と月島は非常に価値観が似通っている。鶴見が月島をそうなるよう誘導した部分もあるが、元から似ている部分も多い。鶴見に手を伸ばした時の月島は死ぬとわかっていても本望だっただろうし、鶴見も月島が本望であるとわかっていて手を伸ばさせようとした。だが月島がここまで迷いを吹っ切れるようになった出来事の裏には鶴見の演出があった。丸っきりの嘘ではなかったが、月島を利用するために事実を利用した。月島はそれに気付かず、鯉登は気付いていた。鯉登は月島がそれに喜んだ気持ちがわかるからこそ、月島に鶴見の演出を教えられなかった。鯉登は人の上に立つ者として部下の命を無駄に捨てることの愚かさを理解するようになった。だが同時に、ひとりの戦士として命がけで戦う喜びも、部下として敬愛する者のために命を投げ打とうとする甘美さも知っている。だから真実を伝えて月島の考えを変えるのでなく、真実を伏せたまま体を張って止めて月島の願いを潰した。潰した責任を取った。