メモ帳用ブログ

色々な雑記。

尾形が勇作は自分を愛してくれていたと受け入れられるようになったのは親からの自立の一歩と考えていいと思う。同様に、自分が欠けた人間ではなく欠けた人間にふさわしい道を選んできたことや、自分は祝福されて生まれてきたことを受け入れられたのも、親と自分の関係に目を背けたまま依存するのをやめて、親と自分の関係を適切に定義し直して受容したという意味では、ある種の親離れだろう。親だろうが家族だろうが神でも絶対者でもなく人間で、自分の世界の機能として存在しているのではなくそれぞれの人生を持ったただの個人だ。だがそれは尾形が他人を殺すことで依存してきた事実を受け入れ、目を背けていた罪悪感と向き合うことでもあった。尾形は罪悪感を分かち合ってくれたかもしれない弟を自らの手で殺していた。だから罪悪感の象徴でもある弟の幻覚に地獄へ連れて行かれるようなイメージとともに自害することになった。