メモ帳用ブログ

色々な雑記。

前向きな言葉というのはいつだって暴力になりうる。どういう在り方が前向きなのか、という点ですら人や場合によって常に異なるからなおさら難しい問題だが。
比較的わかりやすい個人と病の関係に限っても、根治治療を目指すのが前向きなのか、現状維持を目指すのが前向きなのか、緩和ケアを受け入れるのが前向きなのかは、一口に語れる話じゃない。死がいつか必ず訪れるものだと受け入れればこそ、限りある生においてどのような選択をするかは重大な意味を持つ。こういう選択が最善だと一度言い切った途端、本当にもっと良い方法はなかったのかという恐れが必ず生まれる。そしてこういう選択が最善だと勧められる側の恐れはなおさらだろう。
決して均一ではありえない複数の人間が関わる問題では、前向きな在り方を決定することも、それをすべての人間に適用することにも非常な困難が伴う。選択も実行もある種の暴力でしかありえない。
それでも人は何らかの姿勢を選び取らなければならない。