メモ帳用ブログ

色々な雑記。

事実は小説より奇なりとは言うけど、現実の奇は膨大な背景の積み重ねでできている。だから詳しく知れば大抵の奇はただの奇でなく必然性を持っていたことがわかる。現実の愚行も大抵はただの愚行じゃない。でもフィクションの愚行は背景を説明されない限りただの愚行のままだ。
黒山村のエピソードは背景の説明が足りていないのか残酷な運命の話というよりも愚行の山盛りの話に見えてしまう。誰が馬鹿とか言うんじゃなくて全員が馬鹿だ。
特に主人公の高皓光にいきなり情けない印象をつけすぎだ。威勢良く村の問題解決に殴りこんだのに、何もできないまま村人も白小小も死なせてしまった。それは主人公の成長イベントというか意図された未熟さだからまだいいとして、黒山村で約300人の遺体とともに残された十数人の子どもたちを救助するために何かした描写もないまま次のエピソードが始まったのは本気でどうかと思う。生きている子どもたちのケアを優先しようという気はないのか。
ところでツッコんではいけない部分へのツッコミになるけど、実は西暦525年の白家と西暦1906年の白家って正しく連続している家だという証拠はない。三眼は白大の妹の子孫が白家を継いだということは元から知っていたし、白小小が白大の子孫として迫害されているということも口論の盗み聞きで知った。だから妹の子孫が黒山村に移住したと推測したし、それを前提に話が進み続けた。中文版には一応白小小や父親は薬の知識があるという状況証拠もある。でも単に後から移住してきた他人の白家が伝説と混同されるようになったという可能性もある。歴史が正しく伝承されていないんだから千年の間に何が起きていてもおかしくない。ついでにいえば西暦1906年の村人のどれだけが西暦525年の村人の血を受け継いでいるのかも疑問だ。
ツッコんではいけない部分のツッコミだと、白大が症状を緩和させる薬草を探すために村を半年留守にしたのもご都合的展開すぎる。伝承だと疫病自体で死者は出なかったようだし、白大が村を出た時は死者は出ていなかったようだ。でもどんな症状が出るかわからない未知の病気にかかった患者を半年も放置するのは無謀だ。強壮薬だけなら手に入る薬草を売って必要な薬草を買うとかはできなかったのか。情報を探そうとしたにしても黒山村は街から往復もできないほど遠いのか。屍者に追われても街の法師に助けを求めようとはしなかったのか。
屍疫は姜明子によれば体の強い人間ほど進行が遅いそうだ。元々体の弱い人間や子供、老人などほど進行が速いことになる。三眼がどれだけのんびり吸収していたのかは知らないが、三眼が退治されるまでの数ヶ月間で症状が進んだ人間は多かっただろうし、死人が出てもおかしくないところだった。また、三眼が退治されても丹薬を飲まなければ患者の四肢は戻らない。直接屍疫で死ななくても四肢の欠損で衰弱が激しくなり亡くなった人間が出ていた可能性だってあった。村人の命を繋ぎ止めるものは白大の薬のストックしかなかった。さらに働き手の四肢が欠損すれば冬を越せるだけの収穫を得るのは難しかっただろう。この点に限っていえば、病人が全員殺害されたために生き残りは食糧難を免れた可能性すらある。三眼の屍疫は直接的にも間接的にも死の恐怖を村人に味わわせたはずだ。
ただ、半年の間に白大と阿柴以外の村人が全く外に出ようとしなかったらしいのもよくわからない。確かに患者の世話をする人間は必要だ。病気の蔓延を役人に訴えてもきちんとした対応を受けられた可能性は低かっただろう。それでも街の医者や法師に助けを求めるのに必要な人数はほんの数人だ。それくらいどうにでも集められたはずだ。また、村を捨てて逃げようとする人間すらいなかったようだ。白大に続いて村から出ようとした人間がすぐに傀儡に殺されて残りの人間が怖気づいたならまだわかるけど、そういうわけでもなさそうだ。
まさか黒山村の人間には異様に村に留まろうとする習性が代々受け継がれているとでもいうのか?