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色々な雑記。

三眼が最期に見た木が比喩である可能性について考える。そうである場合、一千年前に三眼が動けるようになってすぐ苗木を植えたことや数百年に一度目覚めて苗木を見に行っていたことが、黒山村の隣村に住む白大の妹の子孫三眼が見守っていたことに重ね合わされている。
だがもし清末も確認していたら子孫がもうそこに住んでいないことに気がつけたはずだ。わざわざその村の人間は食べないよう注意する必要はなかった。逆に、わざわざ他の村の人間を確認しなくてはいけない状況だ。以前はちゃんと確認していたとしても、本格的に目覚めて人間を食い出した時はその村を確認しなくていいと横着してしまったことになる。全くあり得なくはないが、不自然だ。三眼の傷が治ってからは1、2年もあった。さらに三眼には千里眼の力がある。支配下に置いた3つの村や、支配下に置かなったらしい白大の妹が嫁いだ村の様子に注意するだけで、三眼は白大の子孫が黒山村に住んでいることに気がつけたはずだ。突然不注意になるのは話の都合に合わせて知能が下がる感が強い。でも天意に弄ばれた結果と言えなくもないかもしれない。
また、白大の子孫が黒山村に根付いた事実を皮肉る童謡は、千年前から伝えられているとされる。もし白家が数百年前まで隣村に住んでいたのならこれもデマということになる。


三眼の独白が比喩である場合、「一目でその中からお前を見分けられる」とは具体的どういう意味か。具体的にどの時点で白家の子孫を見分けたのか。
もし白小小の両親を食らったときやその前に見分けたのなら三眼の行動が意味不明になる。この時点ではない。白小小が千里眼を使った時は遠くまではっきり見えていたし、三眼が本当に白家を一目で見分けられるのなら白小小の両親を犠牲にする前に気付いていてほしかったところだ。だが生贄に特段の注意を払わず、ながら見のような状態で食っていたのなら、「一目」のカウント外でもおかしくはない。
もし白小小を傀儡で食らおうとして阻止され、傀儡に借元真目を貸した時に気がついたのなら、以下の独り言が不自然になる。
(中文)

咱可是有仇必报的,吃你个人咋啦?
人也会吃人呢,真真是。
欺尸太甚!
啧啧,
不过,
那名灰发小子不知怎得……
让咱想起了姜明子。

(直訳)
オレは仇には必ず報いる、お前個人を食べて何が悪い?
人だって人を食うぞ、まったく。
屍者いじめが酷すぎる!
チェッ、
だが、
あの灰色の髪の小僧はどういう訳か……
姜明子を思い出させる。


独り言なので演技ではない。食事を邪魔された怒りと、自分が人間を食うことを正当化したいという気持ちしか伝わってこない。借元真目を使ったおかげで白家の子孫に気が付けた安堵や驚き、それ以前にも白家の子孫を食べてしまった可能性を憂慮する気持ちなどは全く感じられない。
また、南北朝時代は傀儡の借元真目を通じ、圧倒的な力を持つ求法者が姜明子だと気がついた。さらに清末も借元真目を通じて高皓光から姜明子に近いものを感じていた。それに対して小姑娘(小娘)と呼んだ白小小からは何も感じるところがなかったようだ。
ついでに言えば白小小が白家の子孫だと気付いていないので、高皓光たちを連行しなければ村人を皆殺しにすると脅したのも演技ではない。
三眼が白小小は白家の子孫だと気がついたのは、村長と高皓光の口論を盗み聞きした時だと考えるのが妥当だ。口論を聞き終わった後、「唉唉! 天意不止弄人,连涅槃尸都不放过。」(やれやれ! 天の意思は人を弄ぶことをやめない、屍者さえ見逃さない。)と三眼は言った。これは運悪く恩人の子孫を食べてしまったという意味だと第7話で確定している。口論を聞いてそのことを確信し、思わず嘆いたと考えるべきだろう。
三眼が白小小を自分の肉眼で初めて見た時にようやく白家の子孫だと見分け、口論を盗み聞きする気になった可能性ならある。ただしこの場合も、年単位でさんざん白家の人間を見落とし続けてきたのに、一目で見分けられたと誇る雰囲気さえあるような部分はやや解せない。三眼が本当に相手の気持ちを一切考えられず、物言わぬ木のようにしか扱えないという意味ならそれでもいいのかもしれないが。


自分は三眼が最期に見た木は本当に木だと思っているし、白家とは対比される存在だと考えている。でも一千年前に三眼が動けるようになってすぐ苗木を植えた時、当時の白家の子孫についても確認したと考えている。三眼は白大から隣村に嫁いだ妹のことを聞かされていた。その後妹の子孫が白姓を守ったことを知っているのは、少なくとも一度は様子を見たからだろう。でもその後は再確認を怠った。