メモ帳用ブログ

色々な雑記。

高皓光は白小小を徐州府周辺の山村から数百km離れた上海近く(上海南京鉄道の1906年に既に運行している区画)まで連れて行った。それはやはり当時科学技術を取り入れて特に発展していた街が上海だったからだろう。山東省から北京にかけては、1901年に義和団の乱が鎮圧されるまでの義和団の活動の傷跡が残っていたはずだ。また、義和団が跋扈したのはそれだけ清末が荒れ果てていたせいだ。山東省に近い徐州府も影響を受けていたかもしれない。馬賊(騎馬盗賊団)を食っていたことは三眼も証言している。ついでにいえば「江蘇省は宣教師が多いから子どもたちの面倒を見てもらえる」という話をするのにも上海近くのほうが自然だ。