メモ帳用ブログ

色々な雑記。

■攻撃性はあるが感情移入能力もある者→牧羊犬
「生まれながらの兵士」の気質。
■攻撃性があって感情移入力のない者→狼
ソシオパス。本質的に権威に反抗する傾向が強いので、軍隊には向いていない。
ゴールデンカムイのキャラだと、この文脈でいう典型的な牧羊犬に成長したのが鯉登。牧羊犬と狼の両面を持ちアイヌ犬にたとえられるのが宇佐美。宇佐美は名場面投票でも「礼儀正しく優しい好青年と危険な●●探偵が混在した人物像」とされている。
なおゴールデンカムイは牧羊犬を善、狼を悪とする善悪二元論を採用していない、むしろレタラなどの狼を肯定的に描いている。だから鶴見は犬のような兵士を探していると明言しているが狼については一切触れていない。触れると文脈が混乱してしまうためだ。ただ『人殺しの心理学』で示されている牧羊犬・野犬・狼という基礎的な構図の説明が不十分なままに応用編とも言えるアイヌ犬の説明をしているため、犬のような兵士がどのような存在か若干混乱を招きやすい。

攻撃性があって感情移入力のない者は社会病質者となる。いっぽう攻撃性はあるが感情移入能力もある場合は、社会病質者とはまったく異なる種類の人間になるのである。
(中略)
社会病質者の存在を私たちが知っているのは、その症状が病気すなわち精神障害であると定義されているからだ。だが心理学は、もうひとつの種類、つまり牧羊犬にたとえられる人間の種類を認識していない。なぜなら、その人格型が病理でも病気でもないからだ。

そういえばゴールデンカムイを読んで罪悪感について気にしていると、上の部分の前にある『戦争』の引用部分に引っ掛かりを覚える箇所がある。

「生まれながらの兵士」ともいうべき人間は確かに存在する。
(中略)
殺人じたいが好きなわけではないが、戦争のように殺人を正当化する倫理的枠組みのなかで行われるならば、そしてまた、それが望ましい世界へ近づく代償であるならば、このような人々は殺人を少しも悪いこととは思わないだろう。

この「このような人々は殺人を少しも悪いこととは思わないだろう」は原文を確認したら“he will have no objection”。直訳だと、彼は異存がないだろう、になるので罪悪感とは関係がなかった。細かいニュアンスはやっぱり原文を確認しないとだな。