メモ帳用ブログ

色々な雑記。

鶴見勢力で鯉登が背負った課題は、全体主義の過ちを乗り越えてそれでも集団主義の正しさを示すためにはどうすればいいのか、ということだろうか。人類はこの問いに対する答えをまだ出せていない。
鶴見のクーデターの建前上の目的は、昭和の五・一五事件二・二六事件の目的(表向きには格差是正や民主主義のための右翼的国家主義的国家改造、つまり結束主義・国家社会主義の実現だが裏では派閥争いなども絡んでいる。日本の国家社会主義はドイツの国家社会主義ドイツ労働者党の思想と名前も中身もかなり重なっているが、それぞれ同時多発的に生まれたもので直接的な影響はほぼ与えあっていない)と似通った内容になっている。後の日本が歩む道を先取りしているとさえ言える。だから鶴見を立派な人間だと信じる鯉登が、鶴見が策謀により自分たち親子や部下たちを利用してしていることを知った後も、その理想とそれによりみんなが救われることを疑わなかったのは不思議なことではない。鶴見のクーデターに参加した鯉登平二も、親友が日露戦争での甚大な人的被害の責任を押し付けられて自刃したために中央に不信を持ったのではない。自刃の責任、つまり能力不足から甚大な被害を招き司令官に心痛を味わわせた責任を部下たちに押し付けたために中央に不信を持ったのだ。
鯉登音之進も鯉登平二も鶴見の部下たちも、後に結束主義と呼ばれる思想によって、中央を打倒し、兵たちの生活や地位を向上できると信じていた。結束主義の負の側面、理想の表面的な実現のために内実が置き去りにされがちであること、にはまだ気がついていなかった。もし鶴見のクーデターさえ成功していたら、そうでなくても鶴見への盲信から醒めなかったら、鯉登は結束主義の負の側面には死ぬまで向き合わずにすんだのかもしれない。しかし鯉登はもはや何も知らない子供ではいられなくなった。
鯉登は鶴見について行けなくなったが鶴見の理想はそのまま受け継いだ。元々軍人の子として教えられていたのであろう「同胞のために身命を賭して戦う」という軍人の本懐も一度意識するようになってからは曲げることがなかった。鯉登は国防を果たすことと自分たちについて来た部下たちを守ることを生涯を通じて貫いただろう。決して理想が先走って内実を疎かにすることなしに。