メモ帳用ブログ

色々な雑記。

鶴見は部下を愛していないから孤独になったのではなく、愛してはいるが愛し方に問題があったから孤独になったのだと思う。
五稜郭での戦いのさなか、鶴見が鯉登にしようとしたことは、月島が言うところの「わざわざ九年越しに種明かしして… 傷をほじくり返して 枯れ果てたところに 自分の愛情を注ぎ込む」「私を救うのにどれだけ労力を費やしたか訴えるわけです」「彼のためなら命を投げ出し汚れ仕事も進んでやる兵隊を作るために」ということだろう。月島から鶴見の手口を聞かされ、教会で自分たちに鶴見劇場が行われたことに気付いていた鯉登は、あの建物の前で鶴見の思惑を悟ってしまった。直前に父の艦隊が沈んだことを察しても鶴見について行こうとしていた鯉登とって、それは味方に後ろから撃たれたも同然の苦痛だっただろう。
だから建物の中では先手を取って「あなたは嘘をつきすぎて 嘘で試した人間の『愛』しか本物と思えないのでは?」と自分から切り出した。鶴見の部下に対する不誠実さを指摘した。クーデターに参加した時から、鯉登は自分の命を失う覚悟はできている。しかし部下たちの命が次々と失われる事態に対する想定は、甚だ甘いものでしかなかった。そしてクーデターの続行が絶望的となった現状、鶴見が部下たちに鯉登の考えていた救いを与えられないのなら、部下たちを守るためには自分が鶴見を切り捨てるのが得策だ。そうして真正面から向かい合おうとしてきた鯉登を、鶴見は再び嘘ではぐらかそうとした。鯉登は、理解していたとはいえ、この後に及んでも嘘をつく鶴見の性根を改めて思い知ったのだろう。「『私のちからになって助けてくれ』と まっすぐにアタイを見てそげん言ってくいやっちょったら そいでもついて行ったとに」と嘆いた。これは紛れもない愛の言葉だ。「まっすぐに」とは嘘で誤魔化さずに、という意味で、「そいでも」とはあなたが嘘つきでも、という意味ではなく、我々が何も得られず賊軍になったとしても、という意味だろう。鯉登は賊軍になるとしても鶴見を切り捨てる道を選んだりせずに2人で力を合わせて部下たちを守る道を選びたかった。そのために自分の命の保証がより一層無くなろうとも構わなかった。
その思いが伝わらずに鶴見と信頼し合うのが不可能だと思い知った後は、これまで以上に部下のために行動しようと覚悟する。月島にも自らの意思で自分について来てもらうつもりで度々声をかけた。月島が命を失おうとも鶴見について行く気だと知った後は、身を呈して引き止めた。
それでも、鯉登が命懸けで戦ったのは、賊軍となり鶴見を切り捨てる事態を回避するためでもあったはずだ。もし鶴見が権利書を手に入れて中央と交渉し、賊軍にならずに済んだとしたら、鶴見勢力での立場を失うのは鶴見に諫言した鯉登の方だった。クーデターは未遂に終わるが鶴見や部下たちが中央から罪を問われる事態は避けられ、鯉登は鶴見かその命令を受けた部下に殺される。鶴見が満州に高飛びして中央との対立を続けるつもりだと知るはずのない鯉登にとって、これが鶴見が権利書を手に入れた場合に想定していた結末だっただろう。だとしても鯉登は、鶴見も、月島も、部下たちも、誰も切り捨てたくはなかった。
そんな鯉登たちに対し、鶴見は自分が部下たちを道連れにしていい人間ではないと自ら悟ることで、せめてもの誠意を示せたのだと思う。たとえ高飛びの計画は中止できないとしても、死亡を偽装する自分の道連れに部下たちを巻き込むことは避けられた。