メモ帳用ブログ

色々な雑記。

第5話の会話によればつい最近阿毛が風邪を引いて白小小が薬を処方したようだ。風邪の薬は一回飲めばそれで終わりってもんでもない。阿毛が診断と処方を受けに白小小の家へ行ったのか、白小小が阿毛の風邪に気付いたのかはともかく、阿毛が白小小の薬を飲んでいるのを家族は知っていたはずだ。阿毛の両親は白家からの薬を拒絶しなかった。

これ以外にも中文版の第6話で白小小が父親は山で薬草採りをしている時に山の向こうを見たことがあると語っていたので、白家は1906年まで薬売りの仕事を受け継いでいたようだ。「山の向こうには海があって どこまでも続く城があって…… 世界は子供には想像もつかないほど広くて面白いものがたくさんある ――ってお父さんから聞いたことがある…」と語っていたのは中文版では「听偶尔出山采药的父亲说过,山的尽头有一望无尽的海,一望无尽的城,有很多很多小女子想都不敢想的东西。」「たまに山から出て薬草を採っていたお父さんから聞いたことがあるの 山の果てには果てしない海や 果てしない街があって わたしには想像もできないようなものがたくさんたくさんあるんだって」

このセリフからすると白小小の父親は山の向こう側を自分の目で見ていたようだ。

ところで中文版だと白小小の一人称は「小女子(近代以前に女性が謙譲語として使った一人称*1)」とたまに「我」だから、読むたびに魚のコウナゴとか、コウナゴをわざと漢字表記にしてろくでもないことを書いて逮捕されたアホとかを思い出してしまう。小女子は現代中国語でも辞書的には小さい女の子という意味だったりする。中文でどちらの用法で使われているのかは文脈でわかる。

話を戻して、中文版の伝承によれば白大は仙薬と偽った自分の血を飲ませて村人たちを死なせてしまったということになっているようだ。筋の通らない怪談だし、さらにその白大の子孫(本当は白大の妹の子孫)が千年以上薬売りの仕事を続けているのはどういう理屈なんだろう。

第6話で村長が「これは語り継がれてきたこの村の凄惨な歴史 白大の一族は村民全員に『命』の大きな借りがある!」と言っているのは中文版では「这里每户人家都有那段信史留下,因为每户人家都留有白大的人命债!」「ここにはどの家にもその確かな歴史が残されている、どの家にも白大のつくった人命の借りが残されているからだ!」。だから村長や村人たちはあのアホみたいな怪談を正しい歴史と思い込んでいたようだ。ただ三眼が出現するまで過去が言い立てられることはなかったし、現状を知らない子どもたちは白小小と仲良くし続けた。村人は最初から本気で伝承や童謡を信じ込んでいたというより、生贄を白家に押し付けることへの自己正当化を図るために、伝承にすがって思考停止したと考えるほうが適当かな。三眼が西暦525年の真実を話した時にあれだけショックを受けていたくらいだから、本気で自分たちのやっていたことは正しいと思い込もうとしたんだろう。自分の家族のためだけに他人を蹴落としている罪悪感から逃げようとした。高皓光にムキになって反論したのも後ろめたさの表れだ。

ところでこの「这里每户人家都有那段信史留下,因为每户人家都留有白大的人命债!」は第8話で三眼が西暦525年の真実を語った際の村人のセリフと対応している。村人は村の支配者である三眼から本当の歴史を教えられても、中文版ではなかなか信じきれなかった。「我们各家各户都有当时的(引用注:信史?)…」「俺たちみんなの家には当時の(引用注:確かな歴史?)があるんだ…」とうろたえる。