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色々な雑記。

黒山村の村長は、生贄を捧げるのは村のためだって大義名分を使いたいならまず自分が生贄になれば良かったんだ。村のまとめ役を失うのがまずいというならせめて自分の家族を生贄にすればよかった。それができなかったのは村のためというのは言い訳で、本当は自分と自分の家族の安全を最優先にしていたせいだ。それを村の内部から指摘されれば次の生贄は村長一家になってしまう。
だから生贄は、ほとんどの村の人間からあいつらが選ばれている限り自分たちは安心だと思える人間でなくてはいけない。「罪人の子孫である白家」という属性はその点うってつけだ。ある家・宗族に与えられた属性は、それ以外の家からすると完全に無関係を決め込める。複雑で網状の広がりがある血統と比較すると、家や宗族という単位は直線的だ。白家は罪人の子孫であるために生贄にされたというよりも、生贄にするために罪人の子孫という烙印を強調された。
白家を全員生贄にしたら、次は通行人を生贄にすると村長は言った。村人から生贄を選んでも揉め事にならない口実がもう思い浮かばなかったんだろう。でも通行人がたくさん通る場所なら最初から通行人狙いで良かったはずだし、見るからにろくな人通りがありそうではない。本当に苦し紛れのアイディアといった感じだ。
他の村で生贄を選ぶ際の大義名分には何が利用されたんだろう。下手に犯罪者を生贄にすると、最初は明らかな前科者から選んでいても、どんどんつまらない理由を口実にして陥れ合うようになる。そのうちに人間関係は完全に破滅する。