メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ゴールデンカムイって作中での道理や正義って言葉の使い方が独特で、感想を書く時にちょっと面倒くさい。
鯉登平二は花沢幸次郎と道を同じくすることを選んだ。司令官が責任を引き受けて戦場で没するというのは当時の社会的道義にも沿った行動だ。鯉登音之進は息子だったからこそ父親の選択を尊重し、止めることができなかった。
月島は自分が愛しておらず愛してもくれない男の下で死のうとしてしまった。それは月島の選択のようでいて、そうなるように周到に誘導された道だった。だから鯉登音之進は月島を引き止めることができた。
それでも道義からすれば月島は鶴見の下で死ぬのが正しかったはずだ。
月島はかつて愛した女性のことで自分を制御できずに父親を撲殺して死刑囚となり、鶴見に救われた後もやはり愛した女性のことで自分を制御できずに鶴見を殴ってしまった。月島は自分が死刑にふさわしい人間であることをどうしようもなく理解していた。月島は自分を死体の群れの一員だと認識していた。だから鶴見に命を捧げ、死んでいった仲間たちに殉じようと考えた。そしてその捧げた命によって鶴見がなにかとんでもないことを成し遂げるのを見届けて、自分の人生の意味を確かめたと願った。
そんな月島に生きる人間のぬくもりを伝えたのが鯉登音之進だった。鯉登音之進はかつて月島が鶴見の命令で誘拐した子どもで、同胞となってからも欺いて利用してきた相手だ。そんな相手が真実に気付いて自分に向き合ってきた時、月島はひどく暴力的な言葉で真相を暴露し、黙らせようとしてしまった。それでも鯉登は鶴見に対する愛も月島に対する愛も失わなかった。
鯉登が鶴見についていけなくなったのは鶴見が男として鯉登に不誠実だったからではない。鶴見が指揮官として部下たちに不誠実だったたからだ。鯉登は自分が鶴見に代わり指揮官として部下たちを救おうとした。最後に月島の行動をねじ伏せられたのも月島が自分の部下だったからだ。
だが単に道義のことを言うなら、やはり月島が鶴見について行くことの重みのほうが勝っていたはずだ。鯉登は道義を踏み越えてでも、月島を抱きとめて死地に赴かせないようにした。月島や鶴見が自分にしてきた不道徳などとうに気にしてはいない。月島は任務に命を捧げていたが、任務を無視してでも鯉登の命を救おうとすることが度々あり、その愛は鯉登に伝わっていた。鯉登は月島に助けてもらった借りを返そうとしたわけではない。ただ自分を愛しんでくれた相手に自分も愛を抱いただけだ。だから貸し借りも損得も度外視して救おうとした。