メモ帳用ブログ

色々な雑記。

自分は月島が最初は志願兵ではなくて徴集兵だったと考える。それは命の奪い合いとその罪悪感をテーマに据えたこの漫画において、日清戦争への出征をいご草ちゃんに伝えた時と帰還した時の月島がどちらもそれについて何かを考えていたように思えないからだ。自分の父親に人殺しの噂があって苦しんできた月島にとって、殺し殺される立場になることは、本来なら非常に重みのある転機のはずだ。
月島がいご草ちゃんへの愛によって自ら殺人の道を選び、その抵抗を乗り越えたと解釈することは充分に可能だ。しかしそうだとしても愛する男が人を殺して自分も殺される境遇へ身を投じることにいご草ちゃんが何も意見しなかったらしいことには疑問が出る。月島が戦争から帰ってきたら駆け落ちしようと言っている時に、ただ嬉しさのあまり耳まで真っ赤になっている場合じゃあない。徴兵が盛んになる昭和ならばあえて志願兵となる人も珍しくはなかったというが、明治はまだそういう時代でもない。それに明治の現役志願兵制度というのは、陸軍士官学校へ行くのは難しいが下士官を志望する若者向けの制度だ*1。白飯には困らなかったものの、上等兵も含めた兵の収入は雀の涙の上に、勉強のための費用も必要だった。そのための保険があったほどだ*2。単に収入だけで比較しても住み込み下男以下だ。すぐにでもいご草ちゃんと駆け落ちして家庭を持ちたかった月島向けの制度ではない。作中でも菊田が、うちは貧乏でメシだけは食えるからと弟を軍隊に誘ってしまったと、暗に自分のメシ以外は期待できないと語っている。
月島もいご草ちゃんも月島が殺し殺される立場になることに責任を感じていなかった。それは自分で選んだ道ではなく他者から押し付けられた道だからだろう。つまりは徴集兵だ。他人に押し付けられた地獄なら、その責任は良くも悪くも他人のせいにできる。
監獄で鶴見に発破をかけられた後、月島は自らの命を拾うために殺し殺される道を自ら選んだつもりだったはずだ。自分で自分の命と殺人に責任を持ったつもりだったはずだ。だから鯉登音之進誘拐のような汚れ仕事に手を染めていても自分の行動にどこかで誇りを持てていただろう。だがそれは錯覚だった。月島の命は鶴見に救われており、月島の決断は鶴見の手のひらの上だった。それを悟った時に月島は9年間大切に守っていたいご草ちゃんの髪を海に捨てた。
月島は自分で自分の人生を選べなかった。それだけならまだ他人に全ての責任を押し付けて心を楽にする道を選ぶこともできただろう。だが月島は選んだつもりで弄ばれていた。決断も責任も自尊心も押しつぶされた。鯉登に誘拐事件の真相を明かした際も、「あなたたちは救われたじゃないですか」「利用されて憤るほどの価値など元々ありませんから 私の人生には」と、自分は救われていないとばかりの口ぶりで、自分で自分の人生を侮辱することしかできなかった。